男と女、科学と技術、動物行動学の奇人たち――師弟のあっけらかん対談集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1214)】
久しぶりに庭の草むしりをしたら、足腰が立たなくなりました(笑)。数え切れないほどのオカダンゴムシとワラジムシが現れました。女房が両者の区別がつかないと言うので、灰黒色で艶があるのがオカダンゴムシ(左)、茶色いのがワラジムシ(右)と説明しました。土の穴から頭の一部を覗かせている虫を引っ張り出したところ、カブトムシやクワガタムシの幼虫を小さくしたような、アオドウガネの幼虫でした。成虫は緑色をしています。壁を小さなミスジマイマイが這っています。毎晩、定時出勤してくるニホンヤモリが続けざまに獲物を口にし、喉を震わせています。庭のハナミズキの実が赤く色づいてきました。
閑話休題、『もっとウソを!――男と女と科学の悦楽』(日髙敏隆・竹内久美子著、文春文庫)は、京都大学・動物行動学の師弟――日髙敏隆、竹内久美子――が、本音で縦横無尽に語り合った対談集です。
「人間のペニスは何故ああいうかたちをしているのか?」、「精子競争とオスの戦略」、「オルガスムスと妊娠の関係」など興味深い内容が満載だが、科学と技術を論じた章、動物行動学の奇人たちについて語り合った章が、とりわけ印象に残りました。
科学と技術の違いについて。「●日髙=技術、つまりテクノロジーはテクニックじゃなくて、やっぱり学問なんだけど、目的は『作る』ことだ。科学の目的は『知る』ことなんだ。そこはやっぱり違うんだよ。・・・鳥の翼が独特な格好をしていることに着目した人が、同じような形を作って空中で動かしてみたら、浮いちゃうんだよね。つまり、翼の上側は陰圧になって吸い上げられる力が働くし、下からは押し上げる力が働くから、あれは浮くんだということがわかった。それじゃと自動車のエンジンを付けて翼を動かすと、ふわりと浮いて進むわけだ。それで飛行機ができちゃったんだよ。後はそれをどう改良するかという話で、まさにテクノロジーとしてどんどん発展して、いい飛行機ができていった。その一方で、鳥がどうやって飛んでいるかというサイエンスの話は、完全にお留守になっちゃったわけだ。それから数十年後、ケンブリッジの学者が煙を入れた部屋の中で鳥を飛ばしてみたら、不思議なことに飛行機のプロペラの後方にできるのと同じ気流ができることがわかったんだ。じゃ、鳥もプロペラの働きをするものを持っているにちがいない。それは何かというと、風切り羽が前進していると捩れてプロペラと同じ働きをする。それで力を出して、浮力を起こして飛ぶんだ、と・・・。●竹内=だから、順序が逆だったんですね。鳥も同じ仕組みだと知らずに、プロペラのほうが先にできちゃった。●日髙=そう、鳥から学んで飛行機を作ったと言われるけれど、必ずしもそうじゃないんだ。テクノロジーのほうが一歩先んじることもあるんだよ。それを参考にしながら、鳥はなぜ飛ぶかというサイエンスのテーマもフィードバックを受けたわけで、科学と技術はそうやって関係をもっている。●竹内=お互いに影響を及ぼしあっているんですね」。
さらに、鳥は反動飛行機――翼は動かさず、ジェットやプロペラで後ろ向きの気流を出すことにより、その反動で推力を作り、揚力を生じさせて飛ぶ飛行機――のように飛び、昆虫はヘリコプター――回転翼によって推力と揚力を同時に生じさせる――のように飛んでいることに話が及んでいきます。
社会生物学は人生論という面白い考え方が紹介されています。「●竹内=社会生物学は遺伝子の淘汰を中心にすえて生物の行動や社会について考えるというもので、要するに現代の進化論、動物行動学の主流とも言えるわけですが、私自身、この学問を学んだおかげで、すごく救われたという気がしているんですよ。以前は私、この世に生まれてきたからには、何かを成し遂げなければならない、何か使命があるはずだと思い込んで、それはそれは焦っていたんですよ。だけど、本当はそうじゃないんだ、そんなふうにプログラムはされてないんだ、ただ遺伝子がコピーを増やしたいというその論理だけであって、一人の人間が一生を完全なものにするとか、偉大なことを成し遂げるとか、そういう論理にはなってないんだということがわかって、すごく気が楽になりましたね。それで努力することをやめるとか、怠慢になるわけじゃないんだけど。・・・●日髙=結局、人生論になるんだよね」。
さらに、竹内はこう考えることで、他人を許すことができるようになったと述べています。「たとえば私に対して意地悪する人がいるとしますね。そのときは腹が立つけれども、ちょっと退いて考えてみると、ああ、この人もやっぱり(自分の)遺伝子のコピーを増やすというプログラムに従って、こういう行動をとっているのかもしれない、そう考えると気持ちにゆとりが生まれるでしょう」。こう考えると、生きていくことが、本当に楽になりますね。
名だたる動物行動学の巨人たちが登場します。「●日髙=コンラート・ローレンツというオーストリア人の学者がいて、この人は『攻撃』、『ソロモンの指環』などの著書を持つ大変有名な動物行動学者だけど、彼は動物の利他的行動や『道徳的』行動は種の保存のためである、と言いつづけてきたんだ。動物は同種同士では決して殺し合いはしない、本来平和的な生活を営んでいる、戦争や殺人などという残酷で愚かな行為をするのは人間だけだ、とさかんに強調した。しかし、それは大きな間違いであることがわかった。ライオンや、あるいはハヌマンラングールのようなサルで、子殺しが発見されたからですよ。同じ種の子供を殺すようでは、種の維持という概念とまったく矛盾するからね。ローレンツは、何かというと自分のことをダーウィン以上にダーウィン主義者だと言ってます。僕も個人的に彼の口から聞いたことがある。僕はそれがよく理解できなかった。だって、ダーウィンは種の保存なんてことはまったく言ってないんだよ。ところがいつの頃からか、生物は種族維持のために行動し、生きている、という見方が出てきて、ひとり歩きするようになっちゃった」。
「●日髙=(ニコラス・)ティンバーゲンの弟子の人たちは、種ではなく個体の生存率という方向で研究を発展させていったわけでしょう。その流れから、社会生物学も生まれてきたんだよ。●竹内=(デズモンド・)モリスや(リチャード・)ドーキンスもティンバーゲンに教わったことがありますね。・・・●日髙=ティンバーゲンの流れを汲んだ研究は、その後も、淘汰の対象は種ではなく、集団でもなく、個体であると言いつづけた。ダーウィンだって本来そういう考え方なんだからね。それぞれの個体が、様々な局面で、環境に適応できたものは残り、できなかったものは消滅する、そして残ったものが最終的に種になる、というふうに言ってるんだ。・・・(ローレンツ流の考え方は)やっぱりおかしいんじゃないかということになって、結局ティンバーゲン派の考え方が主流になってきた。それを突き詰めていくと、個体というよりも遺伝子である、という見方になって、動物の社会や高度に組織化された利他的行動なんかを分析した(E・O・)ウィルソンの『社会生物学』が出たわけです。その一方でドーキンスは、生物の個体は、自己の複製をできるだけ増やそうとする遺伝子の乗り物に過ぎない、結局は、個体を通して遺伝子に淘汰がかっているのだ、という利己的遺伝子の説を提出した」。
「●日髙=利己的遺伝子の説や社会生物学の考え方を知ると、基本的に見方が変わるわけで、そこが非常に重要なことなんです。これまでの考え方をそのまま延長していくと、20世紀と同じ精神構造になってしまう。それでは21世紀に向けた話なんてできないんじゃない」。全く、同感です。
一見、あっけらかんとした放談集だが、どうしてどうして奥の深い一冊です。