何気なく手にした小さな詩集で、素敵な作品に出会うことができた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1249)】
散策中に、小さな橙色の実が鈴生りのタチバナモドキを見かけました。ホオズキの実が橙色に色づいています。あちこちで、ケイトウが赤紫色の花を付けています。コスモスが風に揺れています。中秋の名月をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,870でした。
閑話休題、『ポケット詩集(Ⅲ)』(田中和雄著、童話屋。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)で、素敵な詩に出会うことができました。
斎藤庸一の「嫁こ」は、こういう詩です。「たった一言(ひとこと)申し上げやんす おらに嫁さま世話してくれるだば どうかこういう嫁こをお願い申しやす 気をもたせたり気をひいたり さわらせたりよく見せっぺとしたり 喋ってばかりでハイカラが好きは御免でやす 丈夫な体でやや子生める腰をもち 子どもがごっくごっくのめるおっぱいをもち 手首まあるく目は子供っぽく 遠いとこから おらを見ていて おらが目えやると目をふせてしまう がんばりできかなくて押しが強くて それをしんにひそめて口には出さず 一俵の米を背負い あいさついい声で おじぎつつましく ぼろを着て色っぽく 馬にまたがり野をかけ草刈場にいけば 汗かいて三束より五束刈り つみとった一輪の桔梗をお先祖さまに上げ としよりにやさしく 己にきつく 誠にはや申訳もごぜえやせんが たった一言がながなが語りやしたが どうかお願い申しやす いい嫁こを おたのみしやす」。言いたい放題の男に見えるが、こういう妻を迎えたら、きっと大事にすることでしょう。
滝口雅子の「男について」は、官能的です。「男は知っている しゃっきりのびた女の 二本の脚の間で 一つの花が はる なつ あき ふゆ それぞれの咲きようをするのを 男は透視者のように それをズバリと云う 女の脳天まで赤らむような つよい声で 男はねがっている 好きな女が早く死んでくれろ と 女が自分のものだと なっとくしたいために 空の美しい冬の日に うしろからやってきて こう云う 早く死ねよ 棺(かん)をかついでやるからな 男は急いでいる 青いあんずはあかくしよう バラの蕾はおしひらこう 自分の 掌がふれると 女が熟しておちてくる と 神エホバのように信じて 男の 掌は いつも脂(あぶら)でしめっている」。
大木実の「妻」を読むと、こういう夫婦でありたいと思わせられます。「何ということなく 妻のかたわらに佇(た)つ 煮物をしている妻をみている そのうしろ姿に 若かった日の姿が重なる この妻が僕は好きだ 三十年いっしょに暮らしてきた妻 髪に白いものがみえる妻 口にだして言ったらおかしいだろうか ――きみが好きだよ 青年のように 青年の日のように」。
高良留美子の「きょうだいを殺しに」は、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を思わせます。「わたしたちは言わなければいけなかった 日の丸の波に送られて たたかいに行く兵士たちに きょうだいを殺しに行ってはいけないと わたしたちは言ってはいけなかった お国のために立派にたたかってきて下さいなどとは 国とは何なのか 国とは何だったというのか わたしたちは日の丸の小旗など振って 道に並んではいけなかった やがてその人の血に染まる 千人針などを作ってはいけなかった わたしたちは言わなければいけなかった どんなに美しいことばで飾られようと あなたたちが殺しにいくのは きょうだいしまいなのだと わたしたちは言ってはいけなかった お国のために死んで下さいなどとは 国とは何なのか 国とは何だったというのか わたしたちは一度でも そのことを考えたことがあったか わたしたちは言わなければいけなかった きょうだいを殺しに行ってはいけないと 日の丸の波に送られて 行き 二度と帰らなかった 男たちに」。
何気なく手にした小さな詩集から、詩に触れる喜びを与えられました。