12人の先人が極めた藝術から企業経営のヒントを得ようという試み・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1251)】
Fさんから譲られた招待券を手に、東京・上野の国立科学博物館で開催中の昆虫展に急ぎました。圧倒されるようなチョウの展示に息を呑みました。因みに、本日の歩数は14,679でした。
閑話休題、『藝術経営のすゝめ――強い会社を作る藝術の力』(舩橋晴雄著、中央公論新社)は、著者が導師と崇める12人の先人の藝――藤原定家の雅び、兼好法師の達人、世阿弥の花、一休禅師の心、心敬法師の氷、千利休の利、本阿弥光悦の虚、宮本武蔵の目、荻生徂徠の物、江島其磧の遊、与謝蕪村の楽、本居宣長の物のあはれ――から企業経営のヒントを得ようと試みた著作です。
兼好が、達人の特徴を挙げています。「寡黙である(「よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ」)、謙虚である(「志常に満たずして、終に、物に伐る事なし」)、人を見る眼を持つ(「達人の、人を見る眼は、少も誤る所あるべからず」)」。
また、達人となるプロセスにも言及しています。「まずはどの道を極めるかという目標設定、稽古鍛錬、道の掟を守る」。
「いま一つ兼好法師が嗜好しているのは、未完の美とでも言うべきものである」。
心敬とは、いかなる人物なのでしょうか。「心敬は連歌理論の大成者であった。その著『ささめごと』『ひとりごと』『老のくりごと』などにおいて心敬は、得てして遊戯性、慰みごととしか捉えられていなかった連歌を、和歌と並ぶ美意識を持ったものとして捉え直すことに成功している。この美意識においては、従来の和歌の中では捉えられていなかった『やせ(痩せ)』とか『ひえ(冷え)』を至高のものとしたことが注目される」。「それらは次第に、日本文化の特色としてよく挙げられる『わび・さび・幽玄』などに雪崩こんでいくであろう」。
宣長の「物のあはれ」とは、具体的にはどういうものを意味するのでしょうか。「心は、嬉、悲、慎。喜、楽、面白、恐、憂、美、憎、恋、厭など様々に動くものであり、これを思う事が即ち、物のあはれを知るということである。このように『物のあはれしるを心ある人といひ、しらぬを心なき人といふ』。従って、例えば道ならぬ恋のような場合においても『これは道ならぬ事、それはあるまじき事』というように道学者のような判定をするのでなく、『たゞ其よみいづる歌のあはれなるをいみじき物にはする也』ということである。これを言うならば、文学の道徳からの解放と言ってよいであろう。あたかも徂徠が、政治を道徳から解放したように、この点においても宣長は徂徠の衣鉢を継ぐ者といえる」。藝術とは人に感動を与えることであり、人に感動を与えるには自分も感動する心を持っていなければならないというのです。
企業幹部に一読を勧めたい一冊です。