榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

未知の著作に触れる喜びを与えてくれる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1312)】

【amazon 『日本思想史の名著30』 カスタマーレビュー 2018年11月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(1312)

ツノナスの黄色い実はキツネの顔に似ているので、フォックスフェイスとも呼ばれています。今日は朝焼けで始まり、満月で終わりました。因みに、本日の歩数は10,014でした。

閑話休題、『日本思想史の名著30』(苅部直著、ちくま新書)では、日本思想史に影響を与えた30の古典が取り上げられています。

この中で、とりわけ興味深いのは、伊藤仁斎の『童子問』、荻生徂徠の『政談』、山片蟠桃の『夢ノ代』の3つの書物です。

『童子問』について。「書物を読み、著作を書き記すことのできる人々のあいだでは、朱子学がしだいに普及しつつあった。天地自然と人間社会の両方を貫く『理』を根拠として、森羅万象を説明する壮大な理論体系に基づき、四書五経をはじめとする儒学の経書を学ぶことが、知識人の常識になったのである。この朱子学の方法に対して、徹底的な批判を加え、孔子によって体系化された本来の儒学思想の姿を復活させることを唱えた儒者が、伊藤仁斎(1627~1705年)にほかならない。そこで人の生きるべき『道』のありさまを示す語として好んで用いたのが『卑近』である。『道』とは、朱子学が説くような『高遠』な『理』によって支えられるものではない。日常生活において人々がふるまう、身近な『徳』の行ないとして現われるものである。――こうした仁斎の主張から、権威づけられた『高遠』な知のあり方に対する徹底した批判を読みとることも、また可能だろう」。

「孔子の『教』とは、それぞれに限界を抱えた個人がそのままで、『天下』全体に通用する『道』によりそいながら生きてゆくことを可能にするものであった」。

『政談』について。「伊藤仁斎と同様に、人間の本来的な共通性を説く朱子学の理論を批判し、生まれつきの性質としての『性』は個人によって異なると考え、それぞれの才能を伸ばすことを、徂徠(1666~1728年)は重視している」。

「『政談』では、『大臣』すなわち公儀の要職にある人々が、いかにして旗本・御家人からの人材登用を行なうか、また彼らをいかに有用な役人に育てるかに関する提言として説明している。そもそも徂徠の考えでは、統治者である武士に限らず、百姓・町人もまた、それぞれの家職を務めることを通じて、統治の営みを手伝っている存在であった。人材の登用に関して徂徠は言う。『一くせあるものに、勝れたる人多き物也』。組織のなかで上下左右を見渡して、みなと同じように、めだたないように自制しながら働くような人物は、結局のところ自分にせっかく備わっている才能を殺してしまっている。むしろ『くせ』のある、使いづらい人物の方が、自分の個性に根ざした『才能』をのびのびと発揮するだろう。人格に多少の難点があっても、上に立つ『大臣』は、大きな『器量』をもってその人物を適当な役職につけ、その『才能』を秩序の運営へと役立てることが必要なのである。そうすれば本人も抜擢されたことを喜び、熱心に職務に励むことになるだろう」。現在も、心すべき人材登用法ですね。

『夢ノ代』について。「『夢ノ代』は、全12巻からなる著書である。その内訳として各巻の題名を挙げると、天文・地理・神代・歴代・制度・経済・経論・雑書・異端・無鬼・雑論となる。現代の学問分野になぞらえるなら、まさしく天文学、地理学、神話学、歴史学、政治学、経済学と、諸学を総覧した簡単な百科全書のような書物である」。徂徠の著書等に学んだ蟠桃(1748~1821年)が『夢ノ代』を完成させたのは、執筆に着手してから実に18年後の73歳に達した時でした。

「(『無鬼』の)『鬼』とは第一には日本の昔話や仏教説話に出てくる、角を生やした人間の形をした妖怪のことではない。ただしそうした神秘的な働きをする存在を一括して、儒学では『鬼神』と呼ぶ。『鬼』と特に限定していう場合は、死者の霊魂のことを意味する。そうした『鬼神』が現実のこの世に現われ、影響を及ぼすという考えを、蟠桃は徹底して否定するのである」。江戸時代に百科事典のような著作が存在したことに驚かされます。

未知の著作に触れる喜びを、本書から与えられました。