科学の分野で大きな業績を上げた52人の女性の簡にして要を得た評伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1391)】
雪は風情がありますが、豪雪地帯の人たちの苦労を思うと、複雑な気持ちになります。我が家の多胡灯籠もちょっぴり雪を被っています。因みに、本日の歩数は10,073でした。
閑話休題、『世界と科学を変えた52人の女性たち』(レイチェル・スワビー著、堀越英美訳、青土社)では、医学、生物学、遺伝学、発生学、物理学、宇宙物理学、数学などの分野で大きな業績を上げた52人の女性が取り上げられています。
メアリー・アニング(1799~1847年、化石学者、イギリス人)。「1823年、アニングはプレシオサウルスを発見し、5年後にプテロダクティルスを掘り出した。化石標本を見つけ、分類し、スケッチし、人々に紹介するアニングの能力はたぐいまれなるものだった。アニングは発見した古代爬虫類についてしっかりと調べた。・・・アニングの貢献の記録は、常に覆い隠される危機に晒されている。アニングが47歳で乳がんで亡くなってから12年後の1859年、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』を刊行した。同書はおそらく、アニングによる先史時代の発見物の影響を受けている」。
レイチェル・カーソン(1907~1964年、海洋生物学者、アメリカ人)。「『沈黙の春』で殺虫剤に焦点を向けたカーソンは、時の人となった。・・・カーソンは、DDTの毒と害虫抑制能力はあまりに新しく革命的であるために、その散布の甚大な影響をふまえた適切な予防措置が取られていないと主張した。DDTを使うことは、一つのドミノを軽くつついて倒すようなもので、その背後で次々と倒れていく他の生き物たちの長い列を無視しているのである。カーソンは科学を信じていた。彼女の全キャリアは科学への献身のもとに築かれている。しかし、利益を求める化学薬品会社が常にそうであるように、農薬をたった一つの視点のみで見ている企業は無責任であるとカーソンは主張した。カーソンは、科学的調査と野外観察に基づいて事実を述べた。・・・『沈黙の春』出版後わずか2年で、乳がんはカーソンの命をあまりにすばやく奪い去った。しかし彼女の本は変化をもたらすことに成功した。カーソンの高らかに響く声は、現代的な環境保護主義の基礎に埋め込まれている」。
ロザリンド・フランクリン(1920~1958年、遺伝学者、イギリス人)。「彼女(フランクリン)はライバルであり、DNAの探求においてワトソンとクリックのはるか先を走っていた。ワトソンとクリックは、ロンドンのキングス・カレッジのフランクリン研究所からフランクリンの知らないうちにケンブリッジの彼ら(ワトソンとクリック)の研究所に渡された2つの重要な情報がなかったら、断じて自分たちの発見をなすことはなかっただろう。情報の一つは、フランクリンが調整して撮影したDNA構造の鮮明な写真である。二つ目は、直近のフランクリンの研究結果を要約した内部向けの報告書である。・・・(フランクリンと不仲の同僚)ウィルキンスはワトソンにフランクリンの愚痴を言った際、彼女の美しいB型DNA写真を持ち出し、彼女の承認なしにケンブリッジで研究しているこのアメリカ人(ワトソン)と共有してしまったのである」。フランクリンは卵巣がんで37年の生涯を閉じています。