戦争は、敵国に殺される前に国民の人生を破壊する・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1429)】
いつも我が家に連れ立ってやって来るシジュウカラは、カップルであることがはっきりしました。胸のネクタイ状の黒い部分の幅が広いのが雄、狭いのが雌です。ボケがさまざまな色合いの花を付けています。オオアラセイトウ(ショカツサイ)が薄紫色の、アネモネが赤紫色の、キンセンカが橙色の、ハナニラが薄青色の、ムスカリが青紫色の花を咲かせています。因みに、本日の歩数は10,538でした。
閑話休題、森村誠一は私の好きな作家です。作品もだが、その生き方に強く惹かれているのです。『遠い昨日、近い昔』(森村誠一著、角川文庫)は、森村の自伝で、彼の思いが率直に綴られています。
とりわけ強く印象に残ったのは、松本清張、角川春樹、高倉健との出会いを語った部分です。
「(得られた時間が)五分の面会中、清張氏は私を一顧だにせず、(同行した)白虹先生とばかり話していた。五分はたちまち切れかけていた。私はついに痺れを切らして、お二人の会話の切れ間に、『先生の作品はほとんどすべて拝読していますが、ホテルを舞台にした作品の中に重大なミスがあります』と割って入った。清張氏は初めて私の方に目を向けて、『どこに、どういうミスがあるのか言ってみたまえ』と眼鏡越しにじろりと睨んだ。私が説明すると、夫人にペンと紙を持って来てくれと頼んで、『きみ、ホテルのフロントのシステムを説明してくれたまえ』と言った。そして延々二時間、私は取材を受けた。・・・このときの清張さんの的確で執拗な質問に、作家たる者の姿勢を見たようにおもった。取材を終えると清張氏が上機嫌で、『コメントを書いておくから、(君が書いた)本を置いて行きたまえ』と言ってくれた」。
「特に松本清張の社会の時空と共に、全方位にわたる広大な作品領土に驚いた。そして私自身も作家の看板を掲げた以上、社会の全方位にわたる読者を、我が作品領域内に招き入れたいと熱望した。清張氏の、まさにデパートのような全方向的ミステリーを含む社会派小説が、それぞれの部門において専門店と同等、時には以上の作品のレベルであるのに驚嘆した。私も、清張氏のような専門店に劣らぬ全方位的な作品領土を築きたいと、作家として貪欲に影響を受け、作家生活五十年の間に切り拓き、積み重ねてきた」。
「自宅に意外な人物が訪ねて来た。角川春樹氏である。角川氏の郷里の巨大な寒ブリを手土産に、突如訪問して来て、『我が社が社運を賭して発刊する<野性時代>という文芸誌に、ぜひとも執筆してもらいたい』と初対面の挨拶もそこそこに、言った。・・・角川氏は、私の目を睨むように見ながら、『作家の証明書になるような作品を書いていただきたい』と言った。そのとき、私の脳裡に、証明というタイトルが閃光のように走った。角川氏の『証明』という言葉が深く心に刻み込まれた。・・・締切は刻々と迫ってくるが、一向に構想がまとまらない。・・・学生時代、留年中、群馬県霧積温泉から軽井沢へ山越えしたとき、山宿がつくってくれた弁当の包み紙に書かれていた西條八十の詩、<母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね>の一文が、暗夜の灯台のように、八方閉ざされていた進路をおしえるように照らした。おもわず私は、おまえはそこから出たいのかと自らに呼びかけた。そうだ、『麦わら帽子』の詩をテーマに、母と子の情愛を軸にしたミステリーを書こうとおもい立った。それから後は早く、『人間の証明』、六百五十枚を一瀉千里に書き上げた」。
「『野性の証明』映画化で、アメリカロケ中、(高倉)健さんに一週間ほど同行したことをおもいだした。・・・実戦さながらのロケ中、健さんの目配り、心配りは実に行き届いたもので、一同の団結力の軸となった。そして、ロケーションは成功裡に終わった。・・・(その後の映画)キャンペーン中、朝食を摂るためホテルの食堂へ下りて行くと、いつも高倉健氏が直立不動の姿勢を取って、私を待っていた。・・・キャンペーン中、『原作者が席に着くまでは坐りません』と健さんは言った。健さんが坐らなければ俳優陣も野性軍団も坐らない。私は途方に暮れて、『どうかお坐りください』と懇願しても、健さんは毎朝、同じ姿勢で私を迎えた。ならば健さんより先に食堂へ行っていれば、健さん以下ご一同様にご迷惑な姿勢を取らせることはあるまいと、食堂一番乗りを志したが、健さんはいつも私よりも前に食堂に入って同じ姿勢を取っていた。・・・健さんこそ、まさに『この道』を究めた人であり、『我らはいづくより来たり、いづくへ行くか』の問いに答える永遠の求道者であった」。
「あとがき」に、著者の戦争を阻止しなければという熱い思いが凝縮しています。「(敗戦後)永久不戦を誓った七十年間は、安倍政権の登場によって過去のものとなりつつある。近隣国の軍事的台頭と、第二次世界大戦発生時の安保環境によく似ている今日とを結び付け、世界的戦争のことごとくに関わる米国と同盟し、想定敵国を脅威として、第二次世界大戦の轍を踏もうとしている。戦争は、敵国に殺される前に国民の人生を破壊する。未来にかけた若者のさまざまな夢を二十歳の徴兵検査で奪い、一年卒業を早めた学徒出陣によって学生を学舎から戦場へ駈り出した。国を守るためではなく、愚かな戦争指導者によって、将来どんな大輪の花が開いたかもしれない若者たちを戦場で殺し、遺骨を入れるはずの壺に石ころが入って還ってきた。前途洋々たる若者たちを、そんなばかげた戦争に二度と駈り出してはならない。政権は仮想敵国の台頭を脅威として国民に押しつけ、支持率を高めようとしているが、まさにそれこそ国民に対する脅迫であろう」。
「戦争から学ばなかった諸国の若者は戦場に送り出されて生命を奪われている。送り出した権力者にはほとんど子供はなく、権力者と密接な若者が戦場へ行くことは少ない。終戦時、戦場から優先的に帰国したのは、政府高官や軍部指導者の係累であった。独裁国家の国民は国を護るために戦争をしない選択が許されず、少年から中年に及ぶ国民まで戦場へ送り出された。つまり、戦時下では国を護るために戦争をさせない愛国の選択はなかった。軍国の愛国は戦争一途であったのである」。
「戦争は人間を非人間化する。我が国が前科から学んでいるにもかかわらず可戦国(戦争可能の国)に戻りつつある今日、人間の数だけある人生の『この道』によって阻止しなければならない。『この道』を決して『かつて来た道』と合流させてはならない。この道こそ人生一度限りの道であり、戦争から学んだ教訓を踏まえた道である。この道は不戦と平和の道であり、いつか来た道は破壊と非人間化の軍道である。これを決して間違えてはならない。政権が盛んに強調する積極的平和と抑止力は、軍事力を踏まえて成り立つ。そしてその軍事力の補給源は、国民に強制されることを忘れてはならない」。若者の心に、この言葉が届くことを願うや切。