厳寒の「死に山」で登山中の若者9名が怪死したディアトロフ峠事件の真相が、遂に明らかに・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1443)】
東京・杉並区立松溪中学時代の同級生たちと、目黒の目黒川のソメイヨシノを楽しみました。まだ現役の社長として岩崎商店を率いている岩崎達三が作る、祭り袢纏(はんてん)の「平ぐけ」という正絹帯の美しさに目を瞠りました。因みに、本日の歩数は12,589でした。
閑話休題、近頃、これほど興奮させられたノンフィクション、これほど強烈に謎解きに惹きつけられた真相追究本には出会ったことがありません。『死に山――世界一不気味な遭難事故「ディアトロフ峠事件」の真相』(ドニー・アイカー著、安原和見訳、河出書房新社)が、その書籍です。
「1959年初めの冬、ウラル工科大学(現ウラル州立工科大学)の学生と卒業してまもないOBのグループが、ウラル山脈北部のオトルテン山に登るためにスヴェルドロフスク市(エカテリンブルクのソ連時代の名称)を出発した。全員が長距離スキーや登山で経験を積んでいたが、季節的な条件からして、グループのとったルートは難易度にして第3度、すなわち最も困難なルートと評価されていた。出発して10日後の2月1日、一行はホラチャフリ山の東斜面にキャンプを設営して夜を過ごそうとした。ところが、その夜なにかが起こってメンバーは全員テントを飛び出し、厳寒の暗闇に逃げていった。一行が戻ってこなかったため、3週間近くたってから捜索隊が送り込まれた。テントは見つかったが、最初のうちはメンバーの形跡はまったく見当たらなかった。最終的に、遺体はテントから1キロ半ほど離れた場所で見つかった。それぞれべつべつの場所で、氷点下の季節だというのにろくに服も着ていなかった。雪のなかにうつ伏せに倒れている者もいれば、胎児のように丸まっている者も、また谷底で抱きあって死んでいる者もいた。ほぼ全員が靴を履いていなかった」。
「遺体の回収後に検死がおこなわれたが、その結果は不可解だった。9人のうち6人の死因は低体温症だったが、残る3人は頭蓋骨骨折などの重い外傷によって死亡していた。また事件簿によると、女性メンバーのひとりは舌がなくなっていた。さらに、遺体の着衣について汚染物質検査をおこなったところ、一部の衣服から異常な濃度の放射能が検出されたという」。
「捜査の終了後、当局はホラチャフリ山とその周辺を3年間立入禁止とした。主任捜査官を務めたレフ・イヴァノフの最終報告書には、トレッカーたちは『未知の不可抗力』によって死亡したと書かれている。以後の科学技術の進歩にもかかわらず、50年以上たったいまでも、この事件の原因を語る言葉はこのあいまいな表現以外にないのだ」。
「目撃者はないし、半世紀以上も広範な調査がおこなわれたものの決め手はなく、ディアトロフ峠の悲劇はいまだに説明がつかないままだ。ロシアではこの問題を扱った書籍は無数に出版されており、その信憑性や調査の精度はさまざまながら、ほとんどの著者は他の著者はまちがっていると主張している。ただ驚いたのは、これらのロシア人著者のだれひとり、冬に事件現場を訪れたことがないらしい。そういう著作その他では、常識的なものから突拍子もないものまでさまざまな推測が語られている。雪崩、吹雪、殺人、放射線被曝、脱獄囚の攻撃、衝撃波または爆発によるショック死、放射性廃棄物による死、UFO、宇宙人、狂暴な熊、異常な冬の竜巻などなど。強烈な密造酒を飲んで、ただちに失明したせいだという説まである。この20年間には、最高機密のミサイルの発射実験――冷戦まっさかりのころ、ウラル山脈では定期的におこなわれていたのだ――を目撃したせいで殺されたのではないか、という説も出てきた。自称懐疑主義者ですら、この複雑な謎を解明して科学的に説明しようとして、陰謀論や偽情報の網の目にからめとられている」。
「この事件の核心には謎があり、それに関する数々の不可解な手がかりがある。いったいなぜ、野外活動の経験豊富な男女9人(男性7人、女性2人)が、零下30度という状況で、まともに服も着けずにテントから飛び出し、確実な死へ向かって1キロ半を歩きつづけたのか。ひとりふたりなら、なぜか安全なキャンプを離れるという過ちを犯すこともあるかもしれない。しかし9人全員がそんな過ちを犯すだろうか。行方不明のトレッカーの遺体が発見され、犯罪捜査や法医学調査がおこなわれたにもかかわらず、なにがあったのかまったく説明がつかない――そんな事例を、私はほかに一件も知らない」。
わざわざ冬の現地に赴くなど困難な調査・研究を続けた著者が、遂に到達した真相は、実に驚くべきものでした。「1959年2月1日の夜、ウラル山脈北部という広大な地域のなかで、9人のトレッカーはこれ以上はないほど最悪の場所を選んでテントを張ってしまったらしい。『想像がつきますよ』、彼(ドクター・アルフレッド・J・ベダード・ジュニア)は言った。『ほんとうに耐えがたいほど恐ろしい状況だったでしょう・・・だれにとっても』」。
9人が襲われた、その恐るべき状況が、分かり易い文章と3つの図で説明されています。何とも不運な9人に合掌。