榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

隠居した大名の日記に記された江戸の庶民の生活ぶり・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2227)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年5月19日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2227)

オオキバナカタバミ(写真1)、スイセンノウ(写真2、3)、アマリリス(写真4)が咲いています。

閑話休題、『大名の「定年後」――江戸の物見遊山』(青木宏一郎著、中央公論新社)は、隠居した大名の『宴遊日記』に拠って、四季折々の江戸の庶民の生活ぶりを辿ろうという試みです。

この大名は、柳沢吉保の孫の柳沢信鴻(のぶとき)で、隠居後、六義園に住み、江戸市中を歩き回り、観察した情景を日記にこまめに記しています。その舞台は、浅草、吉原、上野、湯島、両国、亀戸、飛鳥山、護国寺、鬼子母神、芝居町など、庶民の遊び場全域に亘っています。

「信鴻の日記は、実に信頼できるものである。また、地震や火災に関する記載、喧嘩や盗難などの犯罪にも触れており、当時の生々しい社会情況が見えてくる。その文章は、信鴻の庶民を眺めるおおらかな眼差しを通じて、江戸の町ならではの雰囲気を伝えている。特に、物見遊山における巷での観察は、第一級の史料と言える」。

例えば、こんなふうです。「二十軒茶屋は、雷門から仁王門までの茶屋で、その数は時代によって増減している。この茶屋は、『水茶屋』『掛茶屋』ともいわれ、湯茶などを出して休息する鄽(みせ、店)である。当時の寺社の境内などにある、水茶屋の多くは、葦簀張りの仮小屋で、二十軒茶屋も例外ではなく、表からは葦簀で囲っていた。しかし、内部は据付けの客席があり、客をもてなす若い娘がいて、その娘を見当てに訪れる人が絶えなかった。『看板娘』がいたことは鈴木春信、喜多川歌麿などの一枚絵によって伝えられている。二十軒茶屋は、浅草の魅力として欠かせないものであった。茶屋には評判の美人が揃っていて、そこでのひとときは、川柳に数多く記され、その人気を裏付けている。二十軒茶屋の茶代は五十文、百文ぐらいと推測する。これは、現代の秋葉原のメイド喫茶の料金とほぼ同じではないだろうか。信鴻にもお気に入りの娘がいたことは確かで、浅草には<堂左境屋水茶屋(境屋)ニ而休む(鄽女袖)>と『お袖』という名前を度々記している。また、信鴻は美人には関心があると見えて、評判を聞いて、<此春より大坂下りの難波屋の女、佳麗成由聞たる故、矢太臣門より出る、茶屋ハ四辻向角に在、女評判程にも非す>と、わざわざ確認に出かけたものの、落胆した様子まで記していた」。信鴻に、妙に親しみを感じてしまいました。