モンテーニュ好きには見逃せない一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1608)】
身内の自慢をさせていただきます(笑)。スポーツはからきしダメな私の、姪の長男・林遼平(小学3年生)が、FCバルセロナのバルサエリートプログラム(2019年9月22日<日>~10月1日<火>、於:スペイン・バルセロナ)の遠征メンバーに選抜されました。小学3年生~6年生、400名の中から36名が選ばれました。この経験を通じて彼が何を学んで帰ってくるのか楽しみです。
閑話休題、『モンテーニュ――人生を旅するための7章』(宮下志朗著、岩波新書)は、ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ好きの私にとって、いろいろと教えられることの多い一冊です。
「『店の奥の部屋』を確保しよう」では、モンテーニュの基本姿勢が示されています。<完全にわがものであって、まったく自由な、店の奥の部屋を確保しておくことが必要だ。そしてこの部屋で、きわめて私的にして、外部のことがらとの交際や会話が入りこむ余地もないような、自分自身との日常的な対話をおこなわなければならない>。「人間は、世間・社会あるいは家族という『店』に顔を出して働いたり、付き合ったりしなくてはいけないけれど、少なくとも、お店の奥に、狭くてもいいから自分だけのスペースを確保しておかないと、自分をまるごと持って行かれてしまいますからねというわけである」。
「書物、人生という旅路の最高の備え」では、モンテーニュにとっての読書の位置づけが語られています。<(書物こそは)わが人生という旅路で見出した、最高の備えにほかならない。だから、知性がありながら、書物を欠いている人が、大変に気の毒でならない>。「ここでは、友情、愛情(女性との)、そして書物との交わりが語られる。とはいえ、人間との交わりは偶然的な要素も大きいし、相手次第でもあるばかりか、友情は<悲しくなるほど稀>なのだし、愛情は<年齢とともにしぼむ>。・・・かくしてモンテーニュは、<はるかに確実で、はるかに自分自身のものとなる>として、書物との交わりに最高の価値を置く。もちろん彼は<宮廷社会の喧噪>も嫌いではないし、<快活にふるまう>すべも心得ており、多くの客を屋敷に迎えている。・・・<自分の心の動きや思考を自分自身に集中させる>ために、意識的に孤独を求めてというか、自己との対話を、古典との対話を求めて、塔の書斎へと足を向けたのだった」。
『エセー』執筆の場所となったモンテーニュの城館内の塔の3階の書斎を宮下自身が訪ねた時の「モンテーニュの塔を訪ねる」を読んで、私も一緒に書斎に立ったような気分を味わうことができました。「<この部屋からは、三方の豊かな景色を見渡すことができ>とあるように、3つの窓からの眺めはどれもすばらしい。書物を繙く手を休めて、窓辺に立って、豊かな自然をじっと眺めながら瞑想する彼の姿が目に浮かぶ」。
「旅することの快楽」では、「定めもなく、あちらこちらを歩きまわることが、彼の理想の旅であった」という一節が目を惹きます。
「なにごとにも季節がある」で取り上げられているモンテーニュの隠居論に共感を覚えます。<自分のことを早めに自覚できず、年齢がおのずと心身にもたらす、衰弱や極度の変調を感じとれないという欠点のせいで、この世の偉大な人々のほとんどが評判を落としているのです。・・・みずから進んで屋敷に隠居して、気楽な身分となって、もはやその肩には重荷でしかないところの、公職やら軍職やらは、願い下げにすればよかったのにと思います>。
「老いること、死ぬこと」は、私にとって一番関心のある箇所です。「老いを予防しようとしてがんばっても、いやおうなしに人間に老いは訪れる。ならば、いっそのこと、老いを自然体で受け入れようではないかというのが、彼の考え方である」。<この世に入ってきたのと同じようにして、この世から出ていきなさい。苦しみも恐怖もなく、死から生へと通り抜けてきた道を、さあ今度は、生から死へと通っていくのだ>。エピクロス、ルクレティウスの死に対する考え方から、モンテーニュが影響を強く受けていることが分かります。
モンテーニュ晩年の想い人で、33歳年下のマリー・ド・グルネーがモンテーニュの死後、彼が心血を注いだ加筆訂正を生かした『エセー』死後版を刊行したことは知っていたが、1933年、92歳の時に700ページ近い『<エセー>語彙事典』を完成させたグレース・ノートンという女性がいたことを、本書によって初めて知りました。
ブレーズ・パスカルとジャン・ジャック・ルソーにとって、「モンテーニュの『エセー』が出発点にしてライバルなのだった」という宮下の指摘は、勉強になりました。