榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

トルコの歴史が俯瞰できる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2370)】

【読書クラブ 本好きですか? 2921年10月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2370)

ハナウリクサ(トレニア・フルニエリ。写真1)、ベゴニア・センパフローレンス(写真2)、バラ(写真3)、マルバルコウ(マルバルコウソウ。写真4、5)、ケイトウ(写真6、7)が咲いています。ガマズミ(写真8)、ウメモドキ(写真9)が実を付けています。

閑話休題、『一冊でわかる トルコ史――世界と日本がわかる国ぐにの歴史』(関眞興著、河出書房新社)は、トルコ誕生以前から現代のトルコまでの歴史が、簡にして要を得た記述で説明されています。

とりわけ興味深いのは、トルコの源流はモンゴルなのか、トルコでは奴隷でもエリートになれたのか、トルコのクルド人問題は解決するのか――の3つです。

●トルコの源流はモンゴルなのか――
「現在、トルコ系民族はアナトリアから中央アジアさらに北アジアにかけて広い地域に分布しています。その祖先は、モンゴル高原のバイカル湖の南方からアルタイ山脈の間で遊牧生活をしていました。日本人は『トルコ』と発音しますが、正確には『トゥルク』や『テュルク』です。中国人はその発音を漢字に当てはめ、丁令、丁霊、丁零などと表記しました。中国の記録には、紀元前3世紀ごろ、モンゴル系の遊牧民である匈奴がはじめてモンゴル高原を統一したとき、丁令も匈奴の支配を受けた、と残されています。丁令に始まるトルコ人の歴史は、はっきり解明されているわけではありませんが、1世紀ごろ、匈奴が分裂した際の混乱を逃れ、支配下にあったさまざまな民族とともに、トルコ人たちも各地に動いたと考えられています」。

「6世紀半ばになると、モンゴル高原で突厥が建国されました。トルコ系民族最初の大帝国です。トルコ系民族は中央アジア方面にも広く分布し、同じトルコ系を表す『鉄勒』という言葉は、突厥以外のトルコ系民族をまとめていう際に使われます。・・・突厥は200年あまり繁栄したのち、8世紀中ごろ、同じトルコ系のウイグル(回○<○は糸偏に乞>、回鶻などと表記)によって滅ぼされます。・・・(ウイグルは)トルコ系のキルギス(結骨)に圧迫されます。9世紀の半ば、多くのウイグルが移動せざるを得なくなり、南方(現在の新疆ウイグル自治区)に移ったウイグルは、オアシス都市に住み着きました。・・・(トルコ人は)9~10世紀ごろにはイスラム教を信仰するようになりました」。

●トルコでは奴隷でもエリートになれたのか――
「メフメト1世やムラト2世の時代、オスマン帝国独特の官僚や軍隊の登用制度ともいえるデヴシルメ制が整備されていきました。この制度では、おもにバルカン半島の農村で、キリスト教徒の頭がよくて健康な子どもを集めます。彼らは農家にあずけられ、そこでトルコ語を習い、イスラム教に改宗させられます。そして成長とともに選抜されて、とくに優秀な者は宮廷に入りました。さらに、常備している騎兵の軍団やイェニチェリに配属されます。宮廷に入った者は、スルタンの日常生活の世話係を務め、成人すると、大宰相などの要職に就く道が開かれていました。彼らは、身分的には『奴隷』ですがエリートでもありました」。

●トルコのクルド人問題は解決するのか――
「紀元前からトルコの東部にあるシリア、イラクとの国境をまたぐ地域に、クルド人がいました。クルド人もトルコ人ですが、『トルコはトルコ人の国家である』としているトルコ政府は、民族としてのクルド人を認めていません。クルド人側も、現状を受け入れている者がいる一方で、クルド人国家の建設をめざす勢力もいます。1990年、イラクがクウェートを占領したため、多国籍軍が攻撃しました(湾岸戦争)。このとき、イラクに居住するクルド人は、イラク政府による迫害を避けるため、トルコ国内へ難民として流れこみます。これを機にトルコ国内にもクルド人の権利を主張する勢力が出てきました。一方で、アンカラ大学の学生だったオジャランにより、非合法の共産主義系の武装組織のPKK(結成時はクルド労働者党、現在はクルディスタン労働者党)が結成され、各地でテロ活動を行うようになります。政府の弾圧を受けますが、シリアやレバノンにも拠点を移し、テロ活動を続けました。クルド人問題は、トルコの国内だけでなく、国際問題にもなっています。たとえば、クルド人に対する抑圧があるため、現在もトルコのEU加盟は実現していません」。

本書のおかげで、トルコという国が身近に感じられるようになりました。