立ち直ったかに見えた太宰治が、5度目の自殺・心中で死んでしまったのはなぜか・・・【情熱の本箱(283)】
太宰治は、4度の自殺・心中未遂事件を起こした後に、太宰のよき理解者・石原美知子という伴侶を得て、立ち直ったかに見えたのに、5度目の自殺・心中を決行して死んでしまったのはなぜか。この問いに対する、『完本 太宰と井伏――ふたつの戦後』(加藤典洋著。講談社文芸文庫)の見解は、2007年に出版された『太宰と井伏――ふたつの戦後』より一段と深化していて、説得力を増している。同時に、猪瀬直樹の『ピカレスク 太宰治伝』(川崎和啓の論文『師弟の訣れ 太宰治の井伏鱒二悪人説』が種本)に対する批判の書ともなっている。太宰の師である井伏鱒二が書いた短篇小説『薬屋の雛女房』が、二人の絶交の原因となったことは認めながら、『薬屋の雛女房』に対する読み込みが足りないというのである。
加藤典洋は、太宰の死を考えるとき、最も重要なのは、4番目の自殺・心中未遂事件の相手である内縁の妻・小山初代と、そのことを題材とした太宰の短篇小説『姥捨』、そして、井伏夫妻の所に転がり込んで、太宰との復縁を懇願した初代がモデルとなっている『薬屋の雛女房』だと考えている。
「太宰は、4度の自殺未遂をへたあと、再び、生の世界に戻ってくる。自分の文学者としての自己像が微塵に壊される経験が、彼を底板に立たせる。ここにもう一つの、太宰の小説家としての誕生がある。その後、彼は小説家として、再生する。石原美知子と結婚し、戦時下、他に例のない程の高水準で多産な執筆活動が、そこからはじまる」。
「(太宰の)『純白』の心(戦争の死者への後ろめたさ)と『汚れた』心(『生きていさえすればよいのだ』という『ヴィヨンの妻』の語り手の述べる実存的な感情)との戦いで、勝ち負けを決定づけたものは、太宰と井伏との1947年末の葛藤というより、それを契機にやってきた、太宰への小山初代の蘇り=再来だったのではないかと思っている。初代の中国での酷薄な死の知らせが、戦後、彼の『後ろめたさ』を一段と深めている。・・・実は1947年の11月に、太宰はある井伏の短編を読み、激怒し、井伏とのあいだに大きな絶好状態が生じている。・・・(猪瀬が)一方的というのは、なぜこの時期、十分に安定した心性を保っていた太宰がこれを読んで激怒したかの原因を、井伏の書いた短編の『悪意』、駄作ぶりに求め、太宰の側の問題に一顧も加えていないからである。しかし、実際にこの井伏の短編『薬屋の雛女房』にあたれば、これは必ずしも悪い作品ではない。狂人めいた薬物中毒の青年(太宰の分身)に振り回される若妻(初代の分身)と薬物を扱う薬屋の若女房の交渉を語りながら、『若妻』と『若女房』への書き手の同情が適度の抑制のもとに描かれている。そして、その同情は、等しく薬物中毒の青年にも及んでいる。後者にあるのは暖かな揶揄であって、嘲弄ではない。これを読んだ太宰の激怒は、むしろここに描かれた初代の姿にふれ、中国で客死した初代の面影がありありと蘇るのを覚え、虚を突かれたためとしたほうが、合理的である。そこに井伏により示された弱き者、初代への同情、共感の念に、太宰は裏切られたようにも感じたかもしれない。しかし、原因は井伏にあるというより、太宰のほうにある。『姥捨』以来の、『うしろめたさ』と『自分はただの人間だ』の均衡、戦争の死者への『純白』の心と、戦後の生者の『汚れた』実存び心のあいだの均衡が、このとき、自分のもとに出入りしていた若者への純白な『うしろめたさ』から自分が捨てた『女』への汚れた『うしろめたさ』に重なることで、限界を超え、ダムを決壊させている。問題は太宰のほうにある」。
「井伏との対立は、その副産物にすぎない。太宰が戦後になってこの短編を読み、愕然とし、我を失ったのは、自分が矮小に戯画化されて描かれていたからではなく、初代が、生き生きと愛情をもって描き出されていたからなのである。意表をつく生彩ある初代の――大陸に客死したといういわば他者性に染まった――蘇りに、太宰は、自分の『純白』の心をではなく、むしろ『人間は生きていさえすればよいのだ』という実存の『底板』を、揺さぶられている。というか、踏み抜かれているのである」。
「井伏夫妻は、初代を愛しんでいた。『薬屋の雛女房』には、その小山初代の姿が、初々しいまでに活写されている。太宰は井伏に激怒するのだが、それは、身から出た錆である。死んだ初代が太宰の前に蘇る。そして、太宰の文学の基軸を、ぐらつかせる。文学的な戦争の死者への後ろめたさと、やはり文学的な実存感情とが、そこでは二つながら、『ただの人間』である小山初代の亡霊の再来に、脅かされている」。
太宰と三島の文学的関係がこのように記されている。「『人間失格』を書いて、ほどなく、1948年6月、太宰は5回目の自殺をまたもや心中という形で試み、今度はそれに成功して、死ぬのだが、その太宰の心中に震撼され、大蔵省をやめて筆一本で生きようとする三島が、『人間失格』の向こうを張って書くのが、翌年に発表される『仮面の告白』である」。
本書は、自分が重要と考えるテーマには何度でも舞い戻り、思索を積み重ね、深めていくという加藤の生真面目な姿勢が滲み出た一冊と言えるだろう。私が加藤という思想家に親近感を覚えるのは、その生真面目さ、無器用さにあるのだ。