結末の強烈なとどめの一撃に、思わず絶句してしまいました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1583)】
プールで子供たちが歓声を上げています。因みに、本日の歩数は10,659でした。
閑話休題、『宮部みゆきオリジナルセレクション 松本清張傑作選――戦い続けた男の素顔』(松本清張著、新潮文庫)に収められている『月』は、松本清張の短篇の最高峰と言っても、過言ではないでしょう。
主人公の伊豆亨は、強大な影響力を誇る官学の大御所・谷岡冀山の弟子でありながら、「注目されるような研究もせず、論文も書かなかった。冀山の息のかかった学術専門雑誌に、たしか二、三回は出したことはあるが、短いもので、真面目ではあるが、注意を惹くようなものではなかった。真面目な故に彼の才能の乏しさを露呈したようなものだった。冀山の門下で、伊豆の先輩や同輩が力のこもった論文を次々と発表し、学界に認められてゆくのに、彼だけはとり残された。後輩も彼を追い抜いて行った。伊豆は女子大の平凡な教師が最もふさわしいようであり、当人もそれを自覚して少しもあせってはいないように見えた」。
教授とは言え、女子大の片隅で、歴史地理という地味で目立たない研究を続ける62歳の伊豆は、字が上手な女子大2年生の青山綾子に頼んで、自分の書いたものの清書や、資料の引き写しをしてもらうことにします。「綾子はそれほどの美人ではなかったが、眼の大きい、浅黒い顔で、肉づきのいい身体をしていた。彼女は、はじめ休みのたびに伊豆のところに来ては清書をしていたが、のちには寄宿舎に持って帰り、三日おきか一週間おきに出来ただけを届けに来た」。
日華事変当時、「伊豆を支えたのは青山綾子だった。女子大を卒業してからも半年は助手として東京に残ってくれた。伊豆は陽の目を見る当てもない原稿を虚しい気持で書いていったのだが、彼女のきれいな清書の文字を見るといくらか心が引き立てられた。・・・青山綾子が九州に帰ったのは、その年の秋だった」。
太平洋戦争の空襲が激しくなってきた頃、「思いがけなく九州から青山綾子の手紙が来た。私の住んでいる所はひどく田舎で、近くには軍需工場も無いし、ここまで空襲が行われるとは思われない。東京は大変だと聞いているが、心配になるのは先生の資料と原稿のことである。私は二年前に夫と離婚したから、先生さえよろしかったら、私の家に疎開してこられてはどうか。僅かながら畠を持っているので、先生がお食べになるくらいのことは何でもない、いい忘れたが、夫と別れてからの私は書道を子供に教えています。半分百姓をし、半分そんな生活で暮してきたが、先生もお年のことだし、のんびりした田舎で長生きして下さい、と書いてあった。四年ぶりに見る綾子の筆蹟であった。伊豆の妻が死んだことは知っているらしかった」。
九州北部の綾子の故郷で、40歳差の二人の生活が始まりました。
やがて戦争も終わり、伊豆が綾子の家に来て、いつの間にか3年が経過しました。「伊豆は自分に男としての能力が残っていたら、綾子にその身体を開かせることもできるだろう、そういう機会は毎日のようにある、もし、そんな結果になれば綾子との遠慮な距離も除(と)れてしまう、師弟の愛情が男女の愛情に変る、いつ彼女と離れるか分らない不安も消えるだろうと、ときどき思うことがあった。だが、それは結局は詮ない空想であった。彼はこの男女のままごとのような生活の永つづきを願うほかはなかった。その永続のくさびになるのが綾子が手伝ってくれている地誌稿の仕事だと思った。もはや、地誌の編纂は彼の学問的な意義から消えて、綾子との同棲が永つづきするための目的になっていた。単調で多少の危機を孕む生活が、それからも一年つづいた。(当地の)他人の屈辱的な眼つきに囲まれた中での小さな平和な生活だった。この平和はいつバランスが破れるか分らないうすい安定の上に立っていた」。
結末の強烈なとどめの一撃に、思わず絶句してしまいました。