鴨長明の言葉を味わうのに恰好の一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1595)】
リンゴ、ブドウが実っています。ゴーヤー、オクラ、ナス、カボチャが花と実を付けています。因みに、本日の歩数は10,025でした。
閑話休題、『日本人のこころの言葉 鴨 長明』(三木紀人著、創元社)の、鴨長明の言葉5つが印象に残りました。
<草も木も靡きし秋の霜消えて 空しき苔を払う山風>(その威光にすべてのものが靡き伏すほどであった方も今は亡く、そのなきがらを葬ったあたりを、ただ秋風だけが吹き抜けていきます)――『吾妻鏡』。「長明は方丈の庵に入って閑居の日々を送りましたが、なぜか一度、鎌倉に旅立っています。新古今歌人の飛鳥井雅経の誘いによったもので、経緯はよくわかりませんが、現地での体験として源実朝と再三にわたって会見したことが、鎌倉期の資料『吾妻鏡』に記されています。(源)頼朝の命日に、彼を葬った法華堂で法事が営まれた折に、長明も参加し、個人をしのんでこの歌を堂の柱に書いたとあります。往年の頼朝の勢威を風にたとえ、彼の墓所を吹き抜けていく初冬の風をそれと対比させて、無常の思いが実感的に歌われています。・・・長明がまもなく日野に戻り、翌年の晩春に『方丈記』を執筆した事実です」。無常の風が吹き抜けていくというのです。
<仮に来て見るだに堪えぬ山里に 誰つれづれと明け暮らすらん>(かりそめに通りかかって見ただけの私でさえ堪えられない寂しい山里に、どんな人がつれづれの(手持ちぶさたの)日々を送っているのでしょうか――『鴨長明集』。「旅の途中でふと見かけた山里の草庵についての所感を歌っています。・・・『方丈記』と(『つれづれ』の語がこの和歌と重なる)『徒然草』の二書が果たした役割を考えると、この歌の疑問(このような所で、どんな人がどのように生きているか)が呼び覚ました世界の影の大きさは相当のもののように思われてきます」。
<境界を離れんよりほかには、いかにしてか、乱れやすき心をしずめん>(境界を離れなければ、いかにして、乱れやすい心を静めることができるでしょうか)――『発心集』。「偽悪と奇行で知られる平安中期の遁世者の増賀(そうが)を語った文章の末尾の言葉です。・・・誰でも自分のこととして承知しているように、心はたいへん乱れやすいもので、これを静めるにはさまざまな努力が必要です。そのためにまず必要なのは、煩わしい環境を離れることです。人は周囲の人々との関係において、競争原理にとらわれて自他の優劣に心を乱されたり、人の眼に映る自分の姿を思って、わが身を誇大に見せようとしたりしますが、増賀はそれを厭い、誤解を恐れず、というより、あえてそれを求めて独特な行動をとりました。それで人に嫌われ、世の中から孤立したかというと、なぜかむしろ逆の結果となり、彼の真意を人々はよく理解して尊敬の念をますます強め、それは彼の死後も変わらなかったようです」。
<知らず、生まれ、死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか、去る>(一体、この世に生まれ、そして、死ぬ人は、どこから来て、どこに去っていくのでしょうか。それがわかりません)――『方丈記』。「この世に存在する個人の人間がどこから来て、どこに行くのかという根源的問題に触れる一節です。・・・若き日の長明には自殺への衝動が顕著でした。彼はそれに身を任せることなく老境に達し、今や、死は間もなく実現するものになっていました。その立場による気構えを持って、彼はじっくりと死を見つめますが、それがどこへの出発なのかまだわからない、と書いています」。
<さりがたき妻(め)、夫(おとこ)持ちたる者は、その思いまさりて深き者、必ず先立ちて死ぬ>(離れがたい妻や夫を持つ者は、その愛する思いのより深いほうが、必ず先立って死ぬものです)――『方丈記』。「養和の飢饉の記述の中の印象深い一節です。・・・複雑な現実にとらわれず、自己犠牲の美しさに焦点を当てて、愛する者を持つゆえの人の死の美しさを『必ず』と力強く指し示す長明の筆には万感のこもった気配があり、心に迫ってきます」。愛する者のために死ねるか、これは、その人を真に愛しているか否かの試金石だと、私は考えています。
都立富士高時代に、本書の著者に古文を学んだことを懐かしく思い出しました。