不可触民解放運動の指導者・アンベードカルがガンディーと対立した理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1626)】
ニオイニンドウ(ハニーサックル)の花、紫色のコムラサキ、白いシロミノコムラサキの実、イチョウの実、クリの実をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は10,950でした。
閑話休題、『インド社会と新仏教――アンベードカルの人と思想』(山崎元一著、刀水書房)では、インドの不可触民出身の社会改革家、ビームラーオ・ラームジー・アンベードカルの思想と事績が紹介されています。
不可触民がどういう環境に置かれていたかを見てみましょう。以下は1930年に提示された不可触民に対する禁止事項だが、これに違反すると暴力を振るわれました。
●金・銀の装飾品を身につけてはならない。
●男は膝より下、腰より上に衣服を着けてはならない。
●男は、コート、シャツ、バニヤンを着てはならない。
●髪を切ってはならない。
●家において土器以外の器を用いてはならない。
●女は衣類などで上半身を覆ってはならない。
●女は花で身を飾ったり、サフラン・ペースト(サフランの花からつくった化粧品)を用いてはならない。
●男は傘を用いたり、サンダルを履いたりしてはならない。
アンベードカルは、不可触民解放を実現する方法として、ヒンドゥー教から仏教への改宗運動「ネオ・ブッディズム(新仏教)運動」を繰り広げました。アンベードカルがなぜ、仏教への改宗という方法を選択したかは、彼自身がこのように語っています。
●仏教は不可触民制を産み出したブラフミニズム、ヒンドゥー教、カースト制度と闘ってきた宗教であり、自由・平等・友愛に基づく宗教である。
●仏教はモラリティを本質とする宗教であり、現代科学のいかなる批判にも耐えうる合理性をもっている。
●仏教は貧困を美化することなく、下層民の物質的生活における向上を正当と認めている。
●仏教はインドで生まれ、過去のインドで最も栄えた宗教であり、仏教への改宗がインド文化の伝統を損なうことはない。
●仏教は世界宗教としてインドの外で高い評価を受けており、カースト・ヒンドゥーも仏教の国際的評価を無視できない。また改宗により国外の仏教徒との連帯が生じ、彼らから精神的・物質的な援助を期待できる。
●仏教はマルクス主義に対抗できる唯一の宗教である。
アンベードカルとガンディーとの対立とは、どういうことなのでしょうか。「アンベードカルは、政治運動・社会改革運動を指導する過程で、ガンディーと衝突を繰り返した。アンベードカルもカンディーも、ともに不可触民制をインドの社会悪とみ、不可触民差別の存在しない独立インドの建設を目標としながら、その撤廃の方法をめぐって正面から対立したのである。ガンディーは、不可触民制の撤廃はヒンドゥー教の内部で行なわれるべきであると主張する。そして、この制度はカースト・ヒンドゥー(バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラの四種姓からなる一般ヒンドゥー教徒。不可触民は除かれる)がつくり出した罪悪であるから、その撤廃にはカースト・ヒンドゥーの懺悔・改心がまず必要であると説く。不可触民解放はカースト・ヒンドゥーの主導のもとに行なわれるべきだというのである。これに対しアンベードカルは、不可触民制を生んだのはカースト制度であり、またヒンドゥー教の差別主義であると主張する。そして、不可触民制を廃するためには、カースト制度とヒンドゥー教を葬り去るとともに、不可触民自身が自覚し、団結し、向上せねばならぬと唱えた。不可触民解放の主導権は、あくまでも不可触民がもつべきだというのである。不可触民出身のアンベードカルは、なによりも不可触民の利害を代弁しようとした。これに対し、ガンディーはカースト・ヒンドゥー出身であり、また利害を異にする雑多な社会集団の集合体である『インド人』の代弁者をもって自任していた。こうした立場の違いが、両者の歩み寄りを阻んだといえよう」。
アンベードカルが活躍した舞台が、政治、法曹、社会、経済、労働、教育など極めて広範囲に及んだことを、本書で知ることができました。