榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

歴史の潮目が変わるときに起こることを、鋭く考察した一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1688)】

【amazon 『歴史がおわるまえに』 カスタマーレビュー 2019年11月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(1688)

昨晩は、東京・中央の日本橋で開かれた三共時代の仲間たちとの情報交換会に出席しました。よくも悪くも、人それぞれの人生があることを再認識させられました。実力でなく、運のよさだけで、ここまで身過ぎ世過ぎをしてきた私は、いささか複雑な心境です。

閑話休題、『歴史がおわるまえに』(與那覇潤著、亜紀書房)に収められている、呉座勇一との対談「書き直される日本中世史――義経・後醍醐・信長の実像」から、多くのことを学ぶことができました。

「●呉座=ここがマルクス主義歴史学の欠点なんです。ともかく体制をひっくり返す革命というものを非常に高く評価し、それを熱望するという発想が根底にあるので、『体制の構造的な矛盾』みたいなものを指摘したがるんですよ。この体制は滅ぶべくして滅んだというふうに説明をするので、結局必然論になる。すると、楠木正成の件もそうですが、潮目が変わるというか、局面が劇的に転換する瞬間を捉えるのが難しくなってしまう。●與那覇=矛盾を『克服』することで人類が進歩していくというのがマルクス主義の発想でしたが、日本の場合はそもそも克服する対象がない感じがしますね。律令制がなし崩しに荘園制になって、そのままなし崩しに幕府ができて、潮目しだいでなし崩しに潰れると。封建領主には帝国を克服する意志がなく、帝国を『取り戻した』はずの後醍醐にも確たる思想はない」。

「●呉座=中世史家として信長についてひとこと言っておくと、信長革命児論者たちは、信長の個性に引きつけ過ぎなんじゃないかという気がします。一向一揆の虐殺をやったことに信長の革新性を見る議論がありますが、信長の場合、周りをみんな敵に囲まれていたという特殊な事情がある。●與那覇=こちらも北朝鮮状態だったと。●呉座=戦国の世では、一回降伏した奴がもう一回蜂起するということが普通に起こる。しかし、信長の場合はそれでは困るんです。例えば一向一揆の降参を許した後で、上杉なり武田なりを攻めに行った時に再蜂起されたらどうしようもない。前後を包囲されていない戦国大名なら基本的に降参を許す方向になりますが、信長の場合は偽装降伏を許していると寝首を掻かれてしまうおそれがある」。

「●呉座=義経の平家皆殺しというのはある意味、異常なんです。壇ノ浦の戦いのときは、平家はもう滅びかかっている。九州も、範頼という源頼朝の別の弟に押さえられていて、完全に包囲されている、急いで皆殺しにする必要はないはずなんです。それを実行したというところに義経の特殊性がある。この「ジェノサイド」の評価は両面あって、義経の冷酷さを非難する向きもあれば、結果的に戦争の早期終結に成功したことを評価する人もいる。当時の京都の貴族たちの日記などを読むと、後者の意見が目立ちます。●與那覇=小島毅先生は『義経の東アジア』で、壇ノ浦で義経が船の漕ぎ手を射させたのは今でいう戦時国際法違反、『壇ノ浦大虐殺』だと書かれていますね。しかし、日本でそういう徹底的なことをやると、義経は頼朝に切り捨てられるし、信長も謀反で殺される。●呉座=義経と頼朝の性格の違いというのは結構あります。一般には余り知られていませんが、平家がまだ京都にいて都落ちする前に、頼朝は後白河法皇に手紙を送っています。その中で、『東国を源氏が、西国を平氏がそれぞれ軍事警察権を持つという形で、源平が朝廷への忠誠を競い合うというのはどうでしょう?』と提案しているんです。後白河は、平清盛の息子で後継者の宗盛に『どう思うか』と打診したんですが、『ふざけるな!』と蹴られてしまった。平家にとっては頼朝はあくまでも朝敵(反乱軍)なので、そんな奴と手を組むなんてあり得ないというわけです。確かに頼朝はそのときまだ朝敵なので、朝敵じゃなくなるための方便として言った可能性もあると思うんですけど、少なくとも頼朝には『親の仇は皆殺し』という徹底性はない。場合によっては平家と共存してもいいかなと考えていたということです。そこが義経とは全然違うわけで、歴史の勝者はやはり頼朝だということになる。●與那覇=『俺の望みは100%叶える!』というゴリ押しキャラは嫌われて、『僕の願いはみんなの願い』とうまくアピールできる人の方が生き残る。中国なら、儒教道徳のようなイデオロギーで正統化する形で完全な独裁者にもなれるけど、無思想の日本では逆に、ポリシー皆無でいいからほどほどに相手と折りあえるのが『徳のある人』なわけですね」。

著者の「歴史なき世界のはじまり――凡庸な独裁者たちの肖像」という論考は、実に辛辣です。「(時代の変わり目に)古典となる『歴史書』は、月並みですが19世紀に書かれたマルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(カール・マルクス著、植村邦彦訳、平凡社ライブラリー)でしょう。ルイ・ボナパルトこと後のナポレオン三世が、いかに伯父の初代ナポレオンに倣って革命の成果を簒奪し、大統領就任を経てやがて帝政への回帰という『反動』をなし果せてゆくか。『一度は偉大悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として』という冒頭の一節はあまりにも有名です。鹿島茂『怪帝ナポレオンⅢ世』が批判するように、労働者自身がブルジョワ政府を打倒する『進歩』を夢見ていたマルクスは、伯父の威光に便乗して下層階級の支持をかすめ取ったボナパルトをごろつき、詐欺師と罵る口吻がありました。実際のナポレオン三世には、彼なりに一貫した労働者救済の構想があり、それをエセ社会主義と腐すのはマルクスのやっかみとも言えます。しかし初代ボナパルトのようなカリスマを欠く凡人が、相互に対立する諸階級の支持を取りつけて国民統合の象徴に成りあがるトリックを分析した点では、『ブリュメール18日』の叙述は今日も有効です」。

「(凡庸な独裁者を生んだ秘密を暴いた)マルクスの視点は、支離滅裂な公約を掲げ、知的素養の乏しさを指摘されながらも国民の4割以上から支持を集める、目下のトランプ政権を見る上でこそ際立ってきます。なお、あたかも同書(『ブリュメール18日』)を教科書としたかのような手法で権力を確立したのが、2012年末発足の第二次安倍政権でした。『アベノミクスの三本の矢』を掲げて、特に第二(国家主導の財政出動)と第三(市場主導の規制改革)の矢は明白に矛盾するにもかかわらず、3つの政策それぞれの支持者を丸どりした。安定政権の看板を担保に、国家行事とインフラへの投機を加熱した点は、鹿島氏の描くナポレオン三世とも共通します。平成の時代に高まった国民の改革熱を、戦後最も『保守的』とされる宰相がすべて吸い上げた、あざやかな簒奪劇でした」。痛烈な皮肉ですね。