長生きした画家たちの晩年の生き方から学べること・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1697)】
東京・中野の東中野、中野、杉並の高円寺を巡る散歩会に参加しました。紅葉山公園、宿鳳山高円寺の紅葉、黄葉は息を呑む美しさでした。因みに、本日の歩数は18,528でした。
閑話休題、『長寿と画家――巨匠たちが晩年に描いたものとは?』(河原啓子著、フィルムアート社)では、長生きした画家15人の晩年の生き方と名画が考察されています。
とりわけ興味深いのは、82歳で没したフランシスコ・デ・ゴヤの「おれはまだ学ぶぞ――聾者が見つめ続けた人間の真実」と、89歳没の葛飾北斎の「この道の改革者になる――息絶えるまで本物になることに専念」の章です。
「宮廷画家としての地位は獲得したものの、47歳で聴覚を失い、73歳の頃には華やかな宮廷生活から退き、『聾者の家』と称したマドリード郊外の家で隠遁生活を送ったフランシスコ・デ・ゴヤ。最晩年はフランスのボルドーに移住しました。・・・(若い時分の)ゴヤは、不屈の人であり、なかなかの策士でもありました」。
「80歳の頃に描かれた自画像『おれはまだ学ぶぞ』(1825~28年頃)は、ゴヤの老年期の心境を想起させてくれます。伸びきった白髪と胸の辺りまで白髭を蓄えた老人が少し首を突き出すように顔を上げ、上目づかいの鋭いまなざしでこちらを見つめている作品です。節くれ立った手で持つ左右2本の杖に寄りかかるように背中を丸めています。『まだ学ぶぞ』という心境は、彼が画家としての地位を獲得するまでの欲望と虚栄に対して天から下された制裁に対する内省をうかがわせます。そして、彼の鋭いまなざしは、表面的な外界にのみ向けられていたのではなく、人間の、そして社会の真実を見つめようとしていたのです」。
「(最晩年に至った)老画家(北斎)の心中は、変わることのない若々しい向上心に満ちていたのです。・・・北斎は、長寿願望の強い人でした。・・・88歳で出版された絵手本『画本彩色通』の初編の巻末では、『90愛で画風を改めて、100歳を過ぎたらこの道の改革者になる』と宣言しています。・・・その道を極めるには長大な時間が必要であると判断した北斎にとって、長生きすることは必須でした。よって、長生きのための情報収集、労力、投資を決して惜しみませんでした。それほどまでに、北斎は本物の画家になりたかったのです。真の絵を追究し、それを自らの目で確かめたかったのです」。
長生きして、棺桶に入る直前まで好きな本を読み続けたいと念じている私にとって、本書は大いなる励ましとなりました。