山上憶良は、単なる子煩悩ではなく、勇気ある正義感の強い人であった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1763)】
自信が持てなかったので、千葉・安孫子の「鳥の博物館」の齊藤安行館長に問い合わせたところ、キクイタダキとの回答が得られ、跳び上がって喜んでしまいました。キクイタダキは全長10cmと日本最小の野鳥で、冬季も葉が落ちない針葉樹の高木の枝先を敏捷に飛び回るため、撮影が非常に難しいバード・ウォッチャー泣かせの鳥なのです。メジロ、スズメ、ツグミ、ヒヨドリをカメラに収めました。葉を落としたセイヨウトチノキ(マロニエ)が青空に向かって手を差し伸べています。因みに、本日の歩数は10,311でした。
閑話休題、『こんなに深い日本の古典――サイエンス・ライターが古文のプロに聞く』(黒澤弘光・竹内薫著、ちくま文庫)のおかげで、日本の古典の奥深さを学ぶことができました。
とりわけ心に沁みたのは、『伊勢物語』の「梓弓(あづさゆみ)」の章段を論じた件(くだり)です。「愛する夫が、仕事で遠く離れた土地へ行ったまま三年経っても帰ってこない。連絡もとれず、消息不明――こんな状況に置かれたら、若き妻はどうするでしょう? 夫は無事なのか、何か大変なことが起きたのか、ひょっとして別な女性ができてしまい、もう帰ってくる気はないのか――不安は時とともにつのり、心の休まる時もないことでしょう」。
「自分から若々しさが失われようとしているというのに、夫は帰ってくるのかどうかもわからない・・・そんな追い詰められた思いでいる女の前に、心をこめて求愛してくれる男が現れました。何度も迷った末に、女はとうとうその男の求愛を受け入れたのです。『今宵、あなたをお迎えしましょう』。日暮れを待つあいだ、女の心は揺れ動きます。新しい男を迎え入れる夜――それはつまり、夫との別れが決定的となる時なのですから・・・」。
「複雑な思いで昼下がりの時を過ごしているうちに、女は、誰かが戸口のほうに近づいてくるのを感じ取りました。新しい男が夜を待ちきれずにやってきたのだろうか――ハッと胸を衝かれる思いでいる女の耳に、『この戸を開けておくれ』という声が聞こえました。なんということでしょう。その声は、都に行った夫の声だったのです! あまりの驚きに返事もできない女――でも、その衝撃の中には、『私は捨てられたのではなかった、あの人は私を忘れたのではなかった』という喜びもありました。その一方で、また、『不安に打ちひしがれていた私に、心をこめて求愛してくれたあの人を裏切るわけにはいかない』という板ばさみのつらさもありました。思いは千々に乱れます」。
「女がやっとのことで気を静め、戸を開けないまま、夫に歌いかけました」。妻の歌を聞いて、妻が置かれている立場を知った夫は、「しばし呆然としていました。悲しみ、落胆、嫉妬、憤り――しかし、自分が妻にどれほどつらい思いをさせていたかも身にしみてわかります。男は、扉の内の妻に呼びかけました。<かつて、何年ものあいだ私たちがしてきたように、その新しい男と仲睦まじく暮らせ・・・>。そうして去ってゆこうとする夫に、女は扉を開けて歌いかけました。<『おまえは私の妻だ、私のもとに来い』と私を引き寄せてくれないの? あなたがそうしてくれなくても、私の心は昔から変わることなく、いつもあなたに寄り添っていたのに・・・>。妻の必死の歌いかけを聞いても、男の歩みは止まりません。男は去って行きました。女は哀しく、切なくて、懸命に男の後を追いましたが、追いつくことができず、清水の湧いている所に倒れ伏してしまいました。女は、自分の身体の芯から何かが消えつつあることを感じました。自分の指を噛みちぎり、そこからしたたる血で、岩にこう書き付けました。<互いに想いあっていながら、それが通じないで、あの人は去って行ってしまった。あの人をとどめることもできず、私の命は、今、私の身体から消えていってしまうのかしら・・・>。そうして女はそのまま息絶えてしまったのです」。
この章段を巡り、古文のプロ・黒澤弘光と、サイエンス・ライターの竹内薫の対談が展開されていきます。黒澤は、竹内の高校時代の古文の先生でした。
「●黒澤=『<この戸開け給へ>とたたきけれど』という、この一行です。授業をするなら、このわずか一行の間をどれほど深く読まなければならないか、考えてみましょう。『今宵あはむ』の『あふ』というのは、はっきり言えば男女がともに寝ることですからね。それは女にとって、とてもつらい約束です。でも、とうとうそこまで約束したんです。●竹内=『今宵あはむ』と言っているのだから、約束したのはこの日の午前中か、午後の早い時間帯ですよね。その後、夜を迎えるまでを女がどういう思いで過ごしているか、そこまで補って読まなければいけないわけですね」。
「●黒澤=江戸期の人が『伊勢物語』を愛したというのは、そういう、ただの花鳥風月ではない『あはれ』が、あったからなんです。この女の、切ない意味の『もののあはれ』。ただの『かわいそう』という意味ではなくて、『あはれ』という視点から見るならば、最初の三年間は絶対に抜き難い。その時間経過の中での女の思いを察することなくして、この女の救いのなさは表現できないわけです。●竹内=そのわりに、この作品の載っている立派な全集本の訳文を読むと、すごくつまらないですね。●黒澤=すごくさらさらさらっといっていますね」。
そして、「こんなに深い『梓弓』のポイント――①『女』にとって、夫のいない『三年』は、どれほど重いものだったのでしょうか。②再婚に同意してから、扉が叩かれるまで、『女』の心はどれほど揺れ動いたことでしょうか。③『夫が帰ってきた!』と分かった瞬間、『女』の心はどうだったのでしょうか」と、結ばれています。
『万葉集』に78首と多くの歌が収載されている山上憶良については、このような視点が示されています。「憶良が『万葉集』に先行する和歌集を編んでいたことは、特筆されるべき事実です。憶良は漢学に深い素養を持ち、漢詩文にもすぐれていたと推測されますが、和歌(やまとうた)を集めた歌集を作ったところに、彼の和歌に対する愛着と、漢詩集にも並ぶほどの和歌集があってしかるべきだという意気込みとが感じ取れます」。
<憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ>の「宴を罷る歌」については、こんなふうです。「●竹内=この歌から読み取れることは、それだけではないんですね。●黒澤=はい。この歌については、そう単純に、『憶良は子どもが好きで、奥さんのことも大事にしたから、宴会を中座して早く帰ったんだね。やさしい人だなぁ』というだけでは不十分だと思います。・・・●黒澤=大宰帥(大伴)旅人が(失意のため)ひどい飲み方をしているのを、ある意味、(部下の)憶良が諫めているのではないかと思うんです。そうでなければいかに子煩悩の人だからといって・・・。●竹内=たしかに、そうですね。●黒澤=この歌はむしろ、こう言っているのではないでしょうか。『大伴様、私はもう退席いたします。大伴様も、都には優しい奥方様がいらっしゃるじゃありませんか。繊細で、すぐれた(息子の)家持様もいらっしゃるではないですか。それをお考えになって、酒をもう少しお控えください』と。そのようなニュアンスがどうも感じられるんですよ。●竹内=そのほうがしっくりきますね」。
そして、『貧窮問答歌』に込められた憶良の思いが姿を現してきます。「●黒澤=この歌は、当時の貧しい農民たちが、どんなに悲惨な生活をしているかをとてもリアルに描写しています。この時代の貴族が農民の生活に目を向けるなんて、珍しいことなんです。ところで、これをよく貧窮についての問答歌だと思っていたり、そう思ったまま授業を受けている人もいますが、本当は『ミスター貧』と『ミスター窮』の問答なんです。●竹内=つまり、『ミスター・プア』と・・・『窮』というと、なんでしょう? ●黒澤=もうどうにもならないくらいひどい境遇の人ですね。そんな『貧さん』が質問して、『窮さん』が答えるんです。●竹内=この『貧さん』は、憶良自身ですか。●黒澤=下級官吏ではないかと思われる表現があるので、憶良自身がモデルになっているとは思います。・・・●竹内=この窮さんは当時の農民なんですね」。
「●黒澤=『陳情』というより、現状に対する告発と諫言と言うべきでしょう。『これが農民の生活なのです。このままではいけません』と。これはすごい勇気ですよ。・・・●黒澤=憶良という人は、無位からスタートしましたね。大変な苦労を重ねてようやく築きつつある今のささやかな地位を、これで棒に振るかもしれないんです。なのにそれをあえてやるというのは、大変な勇気と正義感ですね。憶良はたしかに子ども思いでやさしい人であったけれど、ただやさしいだけの腑抜けではないんです。・・・●竹内=なるほど・・・。自分の地位や立場を危うくしても、庶民の生活の過酷さを訴えて、先人に続こうとしたわけですか。●黒澤=そうです。凛とした、背筋のピシッと通った人なんです」。
私も、黒澤先生のような古文の先生に教えてもらいたかったなと、つくづく思いました。