15人の在野研究者の研究生活実践法の実例集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1799)】
川の土手をセイヨウアブラナ(ナノハナ)が黄色く染めています。セイヨウアブラナとセイヨウカラシナは、よく似た黄色い花を咲かせるが、葉の付き方――セイヨウアブラナの葉は茎をぐるっと取り囲むように付いているが、セイヨウカラシナの葉は木の枝のように付いている――で見分けることができます。ミツマタの黄色い花が芳香を放っています。因みに、本日の歩数は10,903でした。
閑話休題、『在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活』(荒木優太著、明石書店)は、15人の在野研究者の研究生活の実践と方法が具体的に記された事例集です。
いずれの研究者の事例も参考になるが、心に残ったのは、「クソみたいな人生にちょっといいことがあってもいいじゃないか」と題された文章です。
「私をふくめ、友人や恋人といった人間関係に恵まれなければ、社会的評価の高い仕事で認められることも望めず、早くも人生が終わってる連中にとっては、書くことはすなわち希望を書くことにほかならない。テクストだけで判断されるときがきっとくる。・・・もし仮に人生になんの望みがなかったとしても絶対に物を書いてはならないという法はどこにもないのだ。大学が終わったあとでも、人生が終わったあとでも、それでも残るものがある」。
「よく自分が書いたものを読み直す。読み直してつくづく『いいものを書いたな』と思う。内容をだいたい忘れているので。初めて読んだような感動を味わえる。ありがとう、わがボンクラ! これを書き残せたのだからもう死んでもいいかな、と感じる。無論、単なるナルチシズムだ。しかし、こんな感傷も幸いなことにやがては風化する。人間が消え、テクストだけが残る。ならば、クソみたいな人生、というよりも、人生というクソを押しつけられたこの最悪の災厄のなかで、ほんの少しのあいだ幸せを感じたって、そうそう罰は当たらないだろう」。
「私は私自身よりも私が書いたテクストの方がずっと好きだ。テクストならば私を超えていける。さらに運のいいことに、書きたいことはまだまだたくさんあるのだ。好きなものがたくさんあるのはよいことである」。
私は、興味のあるテーマについて、本を読んだり、いろいろ調べたり、書評を書いたりするだけで、決して在野研究者ではないが、この文章には深く頷いてしまいました。