中央線の網棚に置き忘れられた文庫本を拾った25歳の女性に起こったこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1837)】
白いナニワイバラ(ナニワノイバラ)が咲き始めました。首を長~く伸ばしたダイサギ、ブルーベリーの花蜜を吸うヒヨドリ、囀るムクドリ、囀り、羽繕いをするカワラヒワをカメラに収めました。ミシシッピアカミミガメが日光浴をしています。カエルの幼生(オタマジャクシ)がうじゃうじゃいます。夜になり、稲妻とともにパラパラという大きな音がするので、外に出たら、雹が激しく降っているではありませんか。
閑話休題、古書店を舞台に起こるさまざまな事件を扱った連作短篇集『淋しい狩人』(宮部みゆき著、新潮文庫)に収められている『歪んだ鏡』は、いかにも宮部みゆきらしい、楽しめる作品です。
「久永由紀子がその本を手にいれたのは、JR中央線の車両のなかでのことだった。網棚の上に置き忘れられていたのを拾ったのである」と始まります。
「由紀子はひとつため息をついて、何気なく頭をあげた。そしてそのとき、網棚の上の文庫本を見つけたのだった。・・・『赤ひげ診療譚』。それが文庫本のタイトルだった。作者は山本周五郎。うろおぼえだが、学生時代に聞いたことのある作家名だった。・・・行きがかり上パラリとめくってみると、頁がはぜるように分かれて、本の真ん中のあたりが開いた。少し驚いた。そこに、はさまっているものがあったからだ。名刺だった。名刺が一枚はさんである。しおりがわりにでも使われていたものだろうか。由紀子はそれを指先でつまんだ。<株式会社 高野工務店 営業部 昭島司郎>。社の住所と代表番号、FAXの番号が刷ってある。裏返すと、<お住まいのリフォームの御相談は当社へ 見積無料>と、活字が並んでいる。宣伝文つきの名刺だ」。
「この本を網棚に載せていった、前の持ち主のことが気になった。どういう人間だったのだろう。通勤電車のなかでこういう小説を読み、なおかつそれを置き去りにしてゆく――。それを思うと、やはり、あの名刺がひっかかる。・・・あれこれと考えていると、想像はふくらみ、頭に思い描いていることを確かめたいという気分になってくる。そして、それはさして難しいことではないとも思えてくる。なにしろ、手掛かりはあるのだ。とりあえずは、この名刺の主に会いにいけばいい。まずそこから始めることができる」。
「久永由紀子は。自分と自分が歩いてきた人生に――まだたった二十五年の道のりだけれども――どんな種類の幻想も抱いてはいなかった。彼女は、自分が入れられている金魚鉢のサイズを知っている金魚だった。誰に教えられたのでもない。知っているのだ。それは彼女がのぞきこむ鏡のなかに描かれている。無情なほどにくっきりと書き付けられている。由紀子は映画のヒロインではなく、小節のなかのシンデレラでもない。それをよく知っているから、彼女は行く手に対してなんの期待も抱いてはいなかった。・・・それらは全て、由紀子がのぞきこむ鏡のなかに映っている。あんたの容姿に釣り合う人生などこの程度のものだと。どんな嬉しい驚きも、あんたの前には待っていないと」。「自分は選ばれることはない。人生の幸せなど、こんな容姿に生まれついた瞬間に、すべて取り上げられてしまった。スタイルだって良くない」。
このように、自分の容姿にコンプレックスを抱いている由紀子だが、『赤ひげ診療譚』の最後に収録されている「氷の下の芽」に出てくる「おえい」という若い娘の、自分で自分の生きる道を探す姿勢に、稲妻に打たれたような衝撃を受けます。「あたしは一人で生きる意味を持とうと思ったことがあっただろうか。不意に、猛然と、この本を持っていた人物に会ってみたいという思いがこみあげてきた。あたしとこの本をつないでくれた、網棚に文庫本を忘れていった人に」。
由紀子が勇気を奮って会いにいった昭島は、由紀子が思っていたよりもずっと若く、ずっと気さくな感じの男性だったが、その五日後、その彼に思いもかけないことが起こるとは・・・。
ストーリーの本筋はともかく、コンプレックスを抱く女性が、読書によって勇気づけられるという件(くだり)には、考えさせられてしまいました。