モンテーニュはキリスト教を信じていなかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1857)】
芳香を放つニオイバンマツリの花は、咲き始めは紫色だが、やがて白色に変わっていきます。その変わりつつある段階の淡紫色のものもあります。ヒメウラナミジャノメ、カナブン、ミナミメダカ、全長10cmほどのミシシッピアカミミガメ、カワラヒワ、囀るムクドリをカメラに収めました。
閑話休題、『エセー』の魅力に取り憑かれ、ミシェル・ド・モンテーニュに関する本なら何でも手当たり次第に手にした時期がありました。そういう本の一冊、30年前に読んだ『モンテーニュ論』(アンドレ・ジイド著、渡辺一夫訳、岩波文庫)を書斎の書棚から引っ張り出してきました。
本書は、モンテーニュ論であると当時に、期せずしてアンドレ・ジイド論にもなっています。
ジイドは、『エセー』を深く読み込むことによって、モンテーニュは敬虔なカトリック教徒である振りはしていたが、キリスト教は信じていなかったと喝破しています。ただ、キリスト教が人々に絶大な影響力を有していた当時、自分の本心を明らかにした場合の危険を慮り、『エセー』の中では、キリスト教を持ち上げる記述で塗して、本音を隠しているというのです。因みに、ジイドも、キリスト教を否定していました。
死に対するモンテーニュの姿勢については、このように記しています。「彼は『エセー』の殆ど巻頭とも言ふべき、『哲理ヲ究明スルハ、コレ死ノ道ヲ学ブコト』と題する章に於いて、『余ノ生涯中最モ放縦ナ時期ニ於イテスラ、死ノ想像ホド終始余ノ脳裡ニコビリ附イテヰタモノハナイ』と書いてゐる。・・・然し、彼が上梓した『エセー』の最後の版で、彼は次のように附加してゐる。・・・『ダカラ、死ガ何時襲ヒ来ラウトモ、コト新シク驚愕モシマイ』。この死を彼は一つの自然事として、愛さうとさへ努めるのである。彼はソクラテスが『ソノ死ニ当ツテ、彼ノ霊魂ノ不滅ナルガ故ニデハナク、彼ガ死スベキ人間ナルガ故ニ、臆スルトコロナク』振舞つたことを讃へてゐる」。ここでも、モンテーニュがキリスト教を信仰していないことが露呈しています。