榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

小説は、あたかも生き物のように変貌していく・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1417)】

【amazon 『小説は書き直される』 カスタマーレビュー 2019年3月7日】 情熱的読書人間のないしょ話(1417)

芳香を放つニオイバンマツリの花は、咲き始めは紫色ですが、やがて白色に変わっていきます。リカステ・アラン・サルツマン・メモリアル・ミキが赤紫色の花を咲かせています。リカステ・ホノカが薄桃色の花を咲かせています。オンシジウムが薄紫色の花をたくさん付けています。

閑話休題、図説『小説は書き直される――創作のバックヤード』(日本近代文学館編、秀明大学出版会)では、多くの作家たちの創作の舞台裏が明らかにされています。格闘の末、作家が原稿用紙に書き付けた言葉が、あたかも生き物のように変貌していく様を目にすることができます。

「企画の目的は、われわれが日頃、当たり前のように慣れ親しんでいる名作が、そもそもどのようなプロセスを経て書かれ、活字化されたものなのか、あるいは読者に読み継がれる中でどのようにおの姿を変えていったのかという、その時間の歩みを追いかけていくことにありました。われわれが普段手にしている一冊の文庫本の『名作』も、実はこうした長い時間の系のうちにある一つの『顔』にすぎません。その背後には創造にまつわるさまざまな試行錯誤があり、また、読者との対話の中で訂正が繰り返されてきた歴史があります。さらに今後どのような『顔』を後世に残していくかは、現代に生きるわれわれの大きな課題でもあるわけです」。

第1段階は、「構想」です。「小説は、作者自身の身の回りの出来事、社会的な関心を集めた事件、あるいは歴史的事実など実にさまざまな事柄から着想される。多くの場合、はじめから原稿用紙に小説のかたちで書かれるのではなく、取材や構想に時間がかけられる。その後次第に小説のかたちに近づき、一般に『草稿』とよばれる下書き段階の原稿にまとめられていく」。具体的には、井上靖の『氷壁』、遠藤周作の『沈黙』、芥川龍之介の『椒図志異』、夏目漱石の『それから』などの構想が紹介されています。

第2段階は、「原稿用紙の世界」です。「創作メモや草稿として練り上げられた構想は、いよいよ小説のかたちに原稿用紙に書き込まれていく。ワードプロセッサーの普及する1980年代以前は原稿用紙に手書きされるのが一般的であった。手書き原稿ではその作品の成立過程や、のちに検閲や作家自身による改稿により削除された箇所を知ることができるのはもちろんのこと、ときに逡巡しながらぎりぎりまで書き直しを繰り返し、ときに迫りくる〆切に追われながら『アト二十枚五、六時間後ニ送ル』などと自らを激励する書き込みをする(織田作之助『俗臭』)など、まさに原稿用紙の上に繰り広げられた攻防の跡をかいま見ることができる」。具体的には、夏目漱石、芥川龍之介、石川啄木などの手書き原稿が示されています。

第3段階は、「活字化以後の変貌」です。「原稿用紙の上で作家が丹念に書き直した小説は、新聞や雑誌に掲載され、世の中に流布していく。しかし、活字化することが小説の完成とは限らない。活字化以後も、小説作品は書き直され、また書き継がれていく」。具体的には、松本清張の『或る「小倉日記」伝』、太宰治の『佳日』、坂口安吾の『戦争と一人の女』などが、変貌の例として挙げられています。

第4段階は、「読み継がれていく中で」です。「作品は発表後もさまざまな形で変貌し続けるが、中には川端康成や志賀直哉のように、生前にすでに自身の全集を編んでいる小説家もいる。一方では、井伏鱒二の『山椒魚』のように、すでに長年親しまれてきた本文に、突然、大きな変更が施されるケースもある。このような時、われわれは果たしてどのバージョンを定本として後に残していけばよいのであろうか。作者の意向はもちろん尊重されなければならないが、本文をどのように評価し、次代に伝えていくかは、実はわれわれ読者にゆだねられた重要な責務なのである」。具体的には、岩波書店が刊行した『漱石全集』が例として提示されています。

『山椒魚』は、身体が大きくなり、谷川の岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、外に出られない悲嘆から、ある日、岩屋に紛れ込んできた蛙を閉じ込めてしまうという内容の小説だが、米寿を迎えた井伏によって、『井伏鱒二自選全集』版では、末尾の山椒魚と蛙の会話部分が全て削除されているのです。「後年になつて考へたが、外に出られない山椒魚はどうしても出られない運命に置かれてしまつたと覚悟した。『絶対』といふことを教へられたのだ。観念したのである」と、井伏自身が削除の理由を述べています。

文学好きには、堪らない一冊です。