【随想】鴎外と清張に小倉で質問したかったこと・・・【薬事日報 2010年7月5日号「夏季随想特集」】
小倉の鴎外
森鴎外はエリート医務官僚であったが、小倉(現・北九州市小倉北区)に左遷される。この時、借りた一軒家が小倉の中心地に残っており、見学者に無料で開放されている。今回、この家を訪れたが、庭付きの小さな家屋である。鴎外の胸像が庭に立てられ、年表が屋内に掲示されている。玄関から上がり、部屋を見て回ったが、風通しのよいのが印象的であった。
私にとって興味深いのは、鴎外があのハンス・クリスチャン・アンデルセンの『即興詩人』の翻訳を完成させたのが、この家だからである。
『即興詩人』の魅力
ほんの気晴らしのつもりで足を踏み入れた、旅先の安っぽい小さな劇場の舞台にアントーニオが発見したのは、何と、一日も忘れることのなかった、かつては一世を風靡した女優アヌンツィアータの落ちぶれ、変わり果てた姿ではないか。
これは『即興詩人』のクライマックス・シーンである。落魄の舞台を終えた夜、屋根裏部屋を訪ねてきた男が、あの愛しい愛しいアントーニオと知った時のアヌンツィアータの気持ちはいかばかりか。この瞬間、私はアントーニオになってしまう。そして、私が一番大切に思っている人がアヌンツィアータと重なり合ってしまう。『即興詩人』は読者からいろいろな読まれ方をしてきたのだろうが、このドキドキするような自己投入が可能なところが、この作品の最大の魅力だと思う。
アンデルセンの故国デンマークをはじめ各国でアンデルセンの童話は今なおよく読まれているものの、彼の自伝的小説『即興詩人』はほとんど忘れ去られているという話を聞いたので、念のためデンマーク大使館に確認したところ、そのとおりだという。それなのに日本で広く愛読されてきたのはなぜか。これは9年の歳月をかけた鴎外の精魂込めた翻訳に因るところが大きい。鴎外の自由自在な訳し方と苦心の華麗な文章が、この作品を日本に根づかせたと言えるだろう。『即興詩人』は翻訳でありながら鴎外の代表作の一つに数えられ、鴎外の創作として扱われているほどである。
人気の絶頂にあるアヌンツィアータに人々が熱中する様は、鴎外訳では「幕は下りぬ。喝采の声は暴風の如くなりき。歌女(うため)はその色と声とを以て満場の客を狂せしめたるなり。観棚(さじき)よりも土間よりも、アヌンチャタ、アヌンチャタと呼ぶ声頻なり」となっており、一方、大畑末吉は「あらしのような拍手のうちに幕がおりました。わたくしたちはみな、このすぐれた女優の美しさに、その名状しがたい美しい声に、われをわすれて感激しました。『アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!』とよぶ声が、平土間からもさじきからもわきおこりました」と訳している。
清張の小倉時代
小倉は松本清張の故郷である。そして、44歳で東京に転居するまで小倉で過ごす。貧しい家庭に育ち、現在の言い方をすれば中卒の学歴しかないため、電気会社の給仕、印刷所の版下工、新聞社の広告部意匠係と下積み生活を余儀なくされる。その厳しい生活の中で、清張が熱中したのが読書であり、文学であった。やがて、この蓄積が鴎外の「小倉日記」にヒントを得た『或る「小倉日記」伝』の芥川賞受賞として結実するのである。
清張の鴎外への眼(まな)差し
清張にとって、鴎外は強烈な引力を発する存在であり続けた。それは、故郷・小倉に縁の文豪というようなレベルにとどまるものではなかった。
市井の鴎外研究者である田上耕作という実在の人物を主人公として鴎外伝の空白に迫った『或る「小倉日記」伝』、ミステリー・タッチの『鴎外の婢』と、その続編ともいうべき『削除の復元』、そして、医務官僚として、文学者としての両面から鴎外の実像に迫った評伝『両像・森鴎外』といった作品が、清張の鴎外に対する関心の強さと持続を物語っている。
『或る「小倉日記」伝』で清張が描きたかったのは、これと決めた対象に対する執拗なまでの探究心、弱者への強い共感と肩入れであった。作中の耕作が直面する過酷な状況、耕作の思いと行動は、清張自身のものでもあった。そして、このテーマは、清張終生のテーマとなったのである。
小倉の「松本清張記念館」
一度は訪れたいと思っていた小倉城内の「松本清張記念館」であるが、今回、この夢を実現することができた。この記念館は私の期待を裏切らぬものであった。いや、期待を上回るものであった。敬愛する清張の生涯と膨大な作品の全体像が俯瞰できるように工夫されているからである。清張自身の声や、清張と直に接触した編集者たちの生の声が聞けるのもよい。
しかし、何といっても圧巻は、清張の終(つい)の住処(すみか)となった東京の杉並・高井戸の住宅が、清張が亡くなった時のまま復元されていることである。しかも、ガラス越しではあるが往時の玄関や応接室を眺めることができるのだ。その上、清張が数々の傑作を生み出した2階の書斎を窓越しに見ることができるのだから、清張ファンにとっては堪えられない。時計、スケジュール表、筆記具、机、机上の斜面台、連載中の掲載誌の綴じ込み、進行中の仕事の参考資料だけでなく、引き出しの傷跡や、机の周辺と床のカーペットのたくさんの煙草の焦げ跡など、創作の現場が生々しく再現されている。
書斎の右手奥は驚くほど多くの蔵書を収めた書庫に繋がっている。1階と2階の8つの書庫もガラス越しに眺められるが、その中に自分の蔵書と同じものを何冊か発見した時は、清張に親近感を覚えてしまった。
今回の小倉行きで、鴎外と清張は私の質問に親しく答えてくれたのである。
東京で手にすることができる清張の蔵書
東京駅前の丸善・丸の内本店の4階に「松丸本舗」がある。松岡正剛プロデュースによる書店内書店であるが、この一角に「懐本」というコーナーがあり、松本清張記念館の協力を得て、清張の蔵書棚が再現されている。清張がどういう本を読んでいたのかを間近に見ることができ、手に取って購入することも可能である。
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