小泉信三の森鴎外、夏目漱石、幸田露伴に対する人物評が、なかなかに興味深い講義録・・・【情熱の本箱(390)】
若い読書仲間の只野健さんの書評に触発されて、講義録『わが文芸談――現代日本のエッセイ』(小泉信三著、講談社文芸文庫)を手にした。
森鴎外、夏目漱石、幸田露伴の文学を論じた部分は、読書家として知られる小泉信三自身の読書経験に基づいて語られており、読み応えがある。鴎外が訳した『即興詩人』を鴎外作品の第一に挙げる小泉の語り口は情熱に溢れ、説得力がある。
『即興詩人』は私の愛読書でもある。人気の絶頂にあるアヌンチィアータに人々が熱中する様は、鴎外訳では「幕は下りぬ、喝采の声は暴風の如くなりき。歌女(うため)はその色と声とを以て満場の客を狂せしめたるなり。観棚(さじき)よりも土間よりも、アヌンチャタ、アヌンチャタと呼ぶ声頻なり」となっており、一方、岩波文庫版の大畑末吉は「あらしのような拍手のうちに幕がおりました。わたくしたちはみな、このすぐれた女優の美しさに、その名状しがたい美しい声に、われをわすれて感激しました。『アヌンツィアータ! アヌンツィアータ!』とよぶ声が、平土間からもさじきからもわきおこりました」と訳している。
私にとって、とりわけ興味深いのは、鴎外、漱石、露伴の人物評である。この3人は小泉の同時代人であるがゆえに、他の書籍では知ることのできない独特の生々しさが漂っている。「今日は、わたくしが日本の近代文学の上で巨人――ジャイアンツと認めていい人について、少しお話してみたい。ジャイアンツと認めていいと思うのは、やはり森鴎外、それから夏目漱石、幸田露伴、この三人は巨人という名に値すると思いますね」。
●鴎外――
「ご承知の通り鴎外は非凡な学者でもあるし、文学者でもありますが、割合に気の小さい人でした。気の小さい人で、敵味方を分けて考えたがる人で、狭量です。いかなるものも包容するというような度量に乏しい人で、党派心が強い。かれが文壇に出た初めから党派的に対抗意識の強い人でありましたが、その対抗意識の強い鴎外は自然主義運動のために閑却されるということでありましたから、慶応義塾が鴎外に乗りだしてくれと懇請して、上田敏と相談して永井荷風を推薦して『三田文学』を興させたということについては、鴎外としては十分、党派的な心理もあったと思います。自然主義運動に対して、別の新しい文学の潮流を興す、対抗意識がずいぶんあったと思います」。
「文学者としての鴎外は、何世紀に一人というような人だと思いますが、しかしわりあいに気が小さくて、人生の態度としてはけちけちしているところがある。やはり軍医で、官吏としての地位の昇進とか、あるいは同輩とどっちが遅れるとかいうようなことが、気になる。それから文壇における批評も、ほったらかしておけない。だから鴎外くらい批評に対して一々答えているものは少ないでしょう。批評したものと鴎外の力量を比べると、それこそ横綱と三段目の相撲ぐらいに違うのですから、ねじ伏せるようなことをいうのです。段違いの力量学識で、ねじ伏せるようなことをいいますから、終始人に好かれませんでした。わたしは一ぺんしか鴎外に会ったことがない。会ったというより見たことが一ぺんありますが、宴会の席上なんかに出ますと、なんとなく映えない人でしたね。堂々としていない」。
「鴎外もまた、自分の身辺に、なんの贅沢らしいこともしない。鴎外は、本を買うことと、葉巻には金を使った、割合にいい葉巻を喫っていたらしいのですが、それ以外に何の贅沢もしない、いかにも日本の古武士らしい生活態度を守ってきた人であり、その点において、乃木(希典)に共鳴しておったのです」。
●漱石――
「漱石は本郷弥生町に住んでいまして、郁文館の生徒が自分の悪口を言っているという妄想を抱いて、どなりつけたりなんかする。そういう病的表情は時々あったようですが、われわれが漱石に対して尊敬の念を抱くのは、彼の正直ですね。漱石はきわめて正直な人で、己を偽らない、嘘のことを言いたくないという気持が強い。したがって道徳的観念が固い、ですから漱石の作品を貫いているいくつかの特徴を挙げると、漱石はモラリストだということがいえると思います。偽りを憎み不義を憎む人だった。彼は家庭では妻に対して満足していなかったと思われますが、妻の夏目鏡子もまた夫に対して批判的なことを書いて、夫の死後、亡くなった夫のことを語るにしては、事実ではあろうけれども、妻たり夫であるのなら匿したいと思うようなことを、語っておりますね。家庭は、どうも幸福であったとは思われない。それが漱石を一層創作に向かわせたという解釈も出来るわけです」。
「漱石のほうではあまり自然主義運動を問題にしませんでした。けれども自然主義一派の人々は、漱石の作品は幼稚な作り物だといって排撃している。ですから、漱石の作品は一般読者にはポピュラーであっても、文壇では冷遇された。そういう現象が時々ありますね。その後の人でも、たとえば菊池寛は漱石嫌いです。これに反し、志賀(直哉)、武者小路(実篤)、長与(善郎)なんかは漱石を大変尊敬しています。そういうわけで、漱石の作品を初めからあまり認めないという人はありました。たとえば谷崎(潤一郎)なんかは漱石をどうみておりましたかね、聞く機会もありませんでしたが。荷風は漱石を嫌いです。島崎藤村も漱石をあまり買わなかったでしょう。しかしその反面において、文壇でいかに漱石嫌いがありましても、漱石の作品というものは今日まで日本国民によって常に重んじられている」。
「物事を深刻に考え、厳粛な態度で物事に臨む他面に、彼(漱石)はきわめて通俗的な駄洒落を弄する趣味もあったのです。・・・鴎外はずっと堅苦しい人でありましたが、洒落のわからない人であったかもしれない。漱石は洒落っ気のある人であった」。
「(漱石は)人生に対する態度の真面目な人で、嘘を憎み、虚偽を憎み、偽善を憎み、常に真実を語ることを努め、そして自分に忠実であろうとする、己を偽りたくない。彼の文学鑑賞
について、西洋の学者がどう言っているからといって、それに盲従することを彼は排斥する、そしてあれだけ英文学をやりながら、英詩がわからないといっております。英詩のミュージックがわからない。それを、わからないといわないで、いかにもいいように言っている人があるのが、どうも自分にはわからないということをいっていますが、それほど厳正で、そして私生活も清潔です」。
「漱石があのとおり正義感の強い人でありましたために、ある時代の作品には社会主義的感情が表われており、さらに、ある小品、随筆の中に、ちょっと社会改革について興味ある思いつきのようなことを書いている」。「漱石の作品にはときどき社会的正義を主張し、社会主義者的気持、感情を表わしているものがあります。漱石が社会主義者であったとは言えませんが、社会主義的主張に、ある共感をもっていたことが、作品のところどころに残っております。・・・ただし、晩年の漱石は、社会主義者と称するものに批判的で、最後の作品の『明暗』には社会主義的の説を述べる人間に、いくらか反感をもって描いているところがあります」。
「貴族、富豪の横暴、ことに貴族、富豪の学者、芸術家に対する横暴は、漱石として我慢なりかねたものであったに違いない」。
「漱石がこのように道義的に行動する人でありましたために、おうおう窮屈な感じを人に与えました。たとえば学位辞退問題というのがあります。・・・このように漱石はもの堅いというか、ある意味では強情な人でありまして、学者、文学者の権威を他人が傷つけるというようなことに対しては反撥する。骨っぽい。・・・漱石は名誉がほしいとか、金を余計とろうとするとかいう風潮に対して、敢然として異を立てた人である」。
漱石の秘密の想い人が誰であったかについて、研究者たちが熱い論争を繰り広げてきた。これは私にとっても最大の関心事であるが、小泉は「亡くなった兄嫁」説の提唱者として知られている。
●露伴――
「露伴が一番ポピュラリティがないということは、一つは露伴がわれわれにとって高すぎるということもあります。彼の学識、学殖、文字に対する知識、それから彼の哲学思想なんかが、一般の読者の基準よりも高すぎるということもあると思います。しかし同時に、露伴が青年を理解しない、青年と縁遠いということがあると思います」。
これは教養人・小泉信三による鴎外、漱石、露伴の人物評であるが、同時に、読み手による小泉の人物評という側面も有していると言えるだろう。