最新鋭機が着陸目前に墜落・炎上したのは、なぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1976)】
女房の親友・岡田文子さんから、庭でキジバト(写真1、2)が孵化したと写真が送られてきました。我が家では、しばしば営巣するものの孵化に至ったことはありません。アオサギ(写真3~5)、ハクセキレイ(写真6)をカメラに収めました。ミンミンゼミの雄が地上で息絶えています。散策中、カヤツリグサを調査している黒田準介氏に出会い、花を付けているカヤツリグサ(写真10)、ヌマガヤツリ(写真11)を教えてもらいました。
閑話休題、『科学技術の失敗から学ぶということ――リスクとレジリエンスの時代に向けて』(寿楽浩太著、オーム社)から、多くのことを学びました。
最新鋭機が着陸目前に墜落・炎上したのは、なぜか。「1994年4月26日夜、当時最新鋭のハイテク旅客機が台湾の台北から名古屋空港(当時)に向けて飛行していました。台湾の航空会社、中華航空の140便、使われていた航空機は1991年に製造・納入されたエアバスA300-600R型です。機体はすでに名古屋空港の滑走路に向けて最終的な着陸態勢に入っていました。当日の天候にも、機体の状態にも何の問題もありません。5分後には誘導路を走行してゲートに向かっている、そんな場面でした。ところが、機体は着陸前のわずか2分間の間に突如、飛行が不安定になり、急上昇に転じた後に一挙に失速。真っ逆さまに滑走路脇に墜落して炎上しました。乗員・乗客271名のうち、249名の乗客と15名の乗員のあわせて264名が犠牲となりました。わずかに助かった7名の方々のいずれも重症を負いました。・・・何も問題がなかったはずの空の旅が、なぜ着陸を目前にして暗転してしまったのでしょうか。『魔の2分間』の謎が深まりました」。
調査の結果、操縦を担当していた副操縦士も、補助役に回っていた機長も、彼らの意に反して「着陸やり直しモード」の動作を始めてしまった機体の着陸やり直しモードを解除できなかったことが原因と判明しました。「彼らは自動操縦装置のモードを切り替えようとしたり、操縦桿を強く推して手動操縦で機体を下降させようとしたりしましたが、いずれも功を奏しませんでした。予期に反して航空機が言うことを聞かないことにパイロットたちは動揺しはじめます。最初は副操縦士に『もっと操縦桿を強く押せ』と指示を与えるだけだった機長も一緒になって一生懸命、操縦桿を押しますが、機体は機首を下げることはなく、さらに上昇を続けようとします。ついにはエンジンも突然出力を増しはじめ、機体は急上昇。あまりの急角度での上昇のため、機体は高度約500メートルほどで失速(揚力を失って飛行を続けられなくなること)し、墜落してしまったのです」。
では、なぜ、2人のパイロットは着陸やり直しモードを正しく解除できなかったのでしょうか。「2人は操縦桿を強く継続的に押せば、いつでも自動操縦が解除されるはずだと思い込んでいた可能性が高いということです。実際のところ、アメリカ製の航空機の自動操縦装置はそのように設計されていました(現在でもそうです)、思いがけない事態が生じた際には、いつでもとっさに人間が航空機の制御を自由に行えるように、という考え方です。事故機の機長は十分な経験を積んだパイロットでしたが、以前はアメリカのボーイング社製の機種の副操縦士を務めており、そうした設計に慣れ親しんでいました。そして、エアバス機の機長となってからはまだ日が浅かったのです。副操縦士はまだ新人で、自身の経験が必ずしも十分ではなかった上に、事故の際には機長から繰り返し、操縦桿を押すように指示されていたことがボイス・レコーダーに記録されています。ところが、ヨーロッパのエアバス社製の航空機は当時、アメリカ流の人間優先の発想とは異なる考え方で設計されていました。それは、あえて単純化して言えば、人間はミスを犯すものであり、それをコンピューター制御によって防いだり正したりして、航空安全を向上させよう、というものでした。着陸やり直しモードを使用する場面は、相対的なリスクが高いので安易な解除を許さず、コンピューターの制御で上昇を完遂する、あるいは、パイロットが気付いていなくとも、エンジンを吹かし失速を未然に防ぐ。いずれも、あえて人間不信の設計をすることによって、安全を高めようとしていたのです。この事故は、そうした考え方が裏目に出てしまった結果とも言えます」。
同様に、さまざまな失敗事例が具体的に分析・解説されていきます。
ただ、残念なことに、科学技術の失敗にどう向き合えばいいのかについては、著者もいろいろ検討しているが、これだというものには到達できていないと述べています。