榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

背伸びしなくてもよい、それぞれの身の丈に合った人生論を・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1996)】

【読書クラブ 本好きですか? 2020年10月1日号】 情熱的読書人間のないしょ話(1996)

7羽ほどのエゾビタキの群れに出くわしました。私にとって初めての遭遇なので、1時間近く粘ってカメラに収めました。我が家の庭師(女房)から、庭の片隅でタイワンホトトギスが咲き始めたわよ、と報告がありました。シロバナマンジュシャゲ、ヒガンバナも咲いています。庭に出ると、キンモクセイのいい香りがします。ハナミズキが紅葉し始めています。今宵は中秋の名月です。

閑話休題、エッセイ集『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン著、岡崎暢子訳、ダイヤモンド社)では、著者の文章とイラストレーションが独特の世界を創り上げています。

「言われるがままに我慢しながらベストを尽くし、一生懸命頑張ることが真理だと、みじんも疑わずにここまで来た。そうして必死にやってきたのに、幸せになるどころか、どんどん不幸になっている気がするのは気のせいだろうか? そう考えたとき、後悔が襲ってきた。いや、後悔というより悔しさだ。・・・でも、もう疲れた。気力も体力も底をついた。チクショウ、もう限界だ。・そう、40歳はターニングポイントだ。そんな理由から、決心した。今日から必死に生きないようにしよう、と」。

「今、僕らには努力より勇気が必要だ。無謀でもチャレンジする勇気、時に潔くあきらめられる勇気のことだ」。

「努力してもどうにもならないとか、努力した分の見返りがない場合もある一方で、努力した以上の大きな成果を収める場合もある」。

「ほんの少し顔を上げて周囲を見渡すだけで、ほかの選択肢がいろいろとあると気づくのに、執着してしまうとそれが見えなくなる。たった一つ、この道だけが唯一の道だと信じた瞬間、悲劇が始まるのだ」。

「賢明な人生を生きるうえでは、あきらめる技術も必要だ。・・・賢明なあきらめには『勇気』が必要だ。失敗を認める勇気。努力と時間が実を結ばなかったら、潔く振っ切る勇気。失敗しても、新たなことにチャレンジする勇気」。

「今にも電池切れしそうな僕らに必要なのは、『もっと』じゃなくて『ほどほど』の気持ち。心配も、ほどほど。努力も、ほどほど。後悔だって、ほどほどがちょうどいい」。

「時間は、何かをしてこそ意味があるわけではない。時には、何もしない時間にこそ大きな意味がある」。

「人間関係の疲れを『ひとりの時間』で癒やす」。

「挑戦したいことがあるのに年齢を理由にあきらめるなんて、どんなに悲しいか」。

「散歩とは優雅なムダ足だ」。

「生きていくって、たいしたことじゃない」。

「その『生きづらさ』は、あなたのせいじゃない」。

「もう少し多様な生き方と仕事ができる世の中になってほしい。さらには、お金をたくさん稼がなくても幸せに暮らせて、無視されることもなく、惨めでもない世の中、そんな社会を夢見ている」。

「自分の心に従えば、少なくとも誰かのせいにすることはない。成功しても、失敗しても、すべて自分の責任。そう思えば少し気が楽になる。自分の人生なら、そうすべきじゃないだろうか?」。

「一度は試してみることをおすすめしたい。試しもせずにあきらめると、あきらめたことは心の片隅にずっと残り続けるから。僕らには挑戦する権利がある。もしそれが叶わない恋だとしても。両思いになれなくても、その恋には十分意味があるから。試しもせずにあきらめるなんて、実にもったいない!」

「お金のために自由を後回しにしない。・・・たぶん、お金のために自由を後回しにし続ければ、僕らは一生自由になれない。自由を知らないまま老いて死ぬコースの一択しかない。このままでは危ない。人生は一度きりなのに!」。

「あやうく一生懸命生きるところだった」。

「夢見た通りにいかなくても、人生が終わるわけじゃない。与えられたこの人生を生き続けるだけだ。結局、今をどう捉えるかの違いだ」。

「冗談で『僕は他人より7年遅れているんだから、7年待ってくれれば追いつける』とか『みんなより7年若い人生を送っている』と言うこともある。後れを取った分、若い人生。遅れているのは決して悪いことばかりじゃない。必ずしも、みんなとスピードを合わせる必要はない。・・・人はそれぞれ、その人なりの速度を持っている。自分の速度を捨てて他人と合わせようとするから、つらくなるのだ。ムリして合わせようとせず自分のペースに忠実になるだけでも、他人とはまったく違う生き方になる。それが個性だ」、

「よく考えてほしい、思い通りにいかないほうが正常だということを。・・・もしかして人生とは、自分の願いや選択が叶うほうが少ないのかもしれない」。

「自分の人生だって、なかなか悪くはないと認めてからは、不思議とささいなことにも幸せを感じられるようになった。こんなことにまで幸せを感じられのかってほどに。・・・理想通りにならなくても人生は失敗じゃない。人生に失敗なんてものはない。・・・自分が自分の人生を愛さずして、誰が愛してくれるだろうか?・・・だからこれは、『人生をどう捉えるか』という観点の問題だと思う」。

「万人ウケしそうなものをやっても結果は変わらない。結果なんかわからないのだから、自分の好きなことをやったほうがいい」。

「そう、人生の大半はつまらない。だから、もしかすると満足できる生き方とは、人生の大部分を占めるこんな普通のつまらない瞬間を幸せに過ごすことにあるのではないか?」。

「もし人生を、期待せずに生きられたら、毎日がラッキーの連続、すべてがサプライズプレゼントみたいに感じられるかもしれない」。

「あれ? 意外に悪くないね、人生って!」。

「『天才は努力する者に勝てず、努力する者は楽しむ者に勝てない』。・・・結果のために耐えるだけの生き方じゃダメだ。過程そのものが楽しみなのだ」。

「ふぅ、あやうく一生懸命生きるところだった」。

これは、背伸びしなくてもよい、それぞれの身の丈に合った人生論なのです。