87歳の勝目梓が亡くなる前日まで綴った日記形式の小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2045)】
オナガ(写真1~3)、ハシボソガラス(写真4、5)、ハシブトガラス(写真6)、ヒヨドリ(写真7)、ムクドリ(写真8)、ハクセキレイ(写真9~11)、シジュウカラ(写真12、13)、スズメ(写真14、15)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,229でした。
閑話休題、作品集『落葉の記』(勝目梓著、文藝春秋)に収められている『落葉日記』は、勝目梓の絶筆です。87歳の著者が亡くなる前日まで綴った日記形式の小説です。
「自分と(妻の)伸子に残されていることは、あとはそれぞれの死という大仕事だけだ。生老病死。この先に自分たちがどんな病気になってどんな最期を迎えるのか、おたがいに予測のしようはない。いずれにしろ、死は大仕事と思われる。人が生きることに何らかの意味があるとしたら、それはたまたまこの世に生を享けて、やがて死んでいくということ自体の他にはないのかもしれない。こんな話は伸子には通じないし受けつけない。それでいい」。
「久々にスーツを着て外出。恒例の会社のOB会に顔を出す。・・・いつも思うことだが、このOB会の席には何となく、在職中の序列の意識が出席者の間にはたらいている。・・・かく言う自分も、役員だった人たちに対するときは、ほとんど無意識のうちにかつての序列の影響力に支配されている。日本の企業の組織の力というのは、すごいし面白いものだとつくづく思う。会が終わったあとに、直属の上司で常務だった八木さんに、もう一席つきあってくれと声をかけられた。同期の安田君と篠原君が一緒だった。気が重かったが断れなかった。・・・八木さんがバーの個室で、昔の部下三名を相手に、奥さんに死なれた喪失感の深さと寂しさを、まさに切々といったようすで訴えたのだ。八木さんは奥さんが亡くなったあとは、長男の家族と同居しているとのことだが、それでも日々の寂しさがまぎれることはなくて、ほとんど酒浸りという状態にあるらしい。・・・(八木さんが)自分一人の力で手に入れたと思っていた人生の満足が、実は女房の献身と忍耐に支えられていたのだということに、七十六歳になってからはじめて気がついた」。
「病院の待合室ではその場所柄のせいで、人々の心のふとした動きが剥き出しになりがちなのかもしれない。そういう場所で垣間見る老夫婦たちそれぞれのふとした言動には、二人が辿ってきた長い結婚生活の様子が透けて見える気もする。しかも、他人のことはどうでもよいが、自分は(事故で急逝した)伸子にとって良き夫だっただろうか、伸子は自分との四十六年間の結婚生活に満足していただろうか、といった思いがいまさらながらふと頭に浮かんでくる。改めて虚心坦懐にふりかえってみると、胸を張って良き夫だったと言える気はしない」。
「今年もあと三日で終る。来客などほとんどない独り暮らしなのだから、正月が来るからといってわざわざ庭をきれいにすることも別にないのだが、風のない暖い日和に誘われて、落葉搔きぐらいはするかという気になった」。
身につまされる作品です。