もしも一年後、この世にいないとしたら、と考えてみよう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2073)】
カキの実にメジロ(写真1~3)、スズメ(写真1、4、5)、ムクドリ(写真6~8)たちが群がっています。ニホンズイセンが咲いています。
閑話休題、『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(清水研著、文響社)は、精神腫瘍医(がん専門の精神科医および心療内科医)の、がん患者に向けたメッセージです。
●僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ――アンドレ・マルロー。
●自分の人生がいつ終わりを迎えるのかは誰にもわからない。だからこそ、今生きている瞬間をかけがえのないものとして大切にしてほしい――27歳でがんで死んだオーストラリア人女性の最期のメッセージ。
「突然がん告知を受け、人生の期限を意識させられる体験はとても苦しいものだと思いますが、その喪失と向き合いながら、自分に残された時間をどう生きるべきかと真剣に悩まれる方々の語りは、ひとつひとつが力強いもので、毎日をなんとなく生きていた私にとって、心から畏敬の念を抱く体験でした」。
「『悲しみ』という感情が苦しみを癒す」。
「柳のようにしなやかに立ち上がる力を人は持っている」。
「『喪失』を受け入れるには時間とプロセスが必要」。
「今日一日があることに感謝する」。
「私は自分の人生を恨んでいる(27歳で進行性スキルス胃がんに罹患した)岡田さんに対して、こんな言葉をかけてみました。『こんなことを言うと怒られるかもしれませんが』と前置きしたうえで、『あくまでも仮定の話ですが、くじを引かなかったほうがよかったですか』と尋ねました。岡田さんは『は?』と私の言った意味がにわかに理解できなかったようでしたので、『つまり、病気になる人生だったら、生まれてこないほうがよかったですか、ということです』と補足しました。岡田さんはしばらく考えていましたが、『いや、くじを引かなかったほうが良いとは思いませんね、うん、最悪のくじだとしても、引けたほうが良いかな』と答えられました。しばらく考えたのち、『<普通だったら、もっと生きられるはずだった>と考えると悔しくてしょうがない。しかし、自分がこの世の中に生まれてきたということもいろいろな偶然が重なって起きたことだとも思う』とおっしゃいました。岡田さんの絶望は大きかったですが、もともとの性格もあり、そこから物事をできるだけ前向きにとらえようともがいているようにも見えました。『正直悔しい、しかし、今生きられることに感謝して、精いっぱい生きたい』とおっしゃったのです」。
●メメント・モリ(死を思え)――古代ローマ人
「人生で大切なことは何か考えると、行動が変わる」。
「大切な人との時間を何よりも優先する」。
「本当は皆、いつ何が起きるかわからない世界を生きている」。
「『もうだめ』と思ってから出てくる強さがある」。
「人生は一回きりの旅である」。
「死後の世界があるという人、自分がこの世にもう一度生まれ変わるという人もいますし、死んだらすべて終わりだと思う人もいます。また、自分自身が生まれ変わることはないが、自分自身や自分が作ったものが大切な人の心の中で生きていくという意味で、自分自身が続いていくと考える人もいます。当時の私が死をどう見据えるようになったかというと、『死んだらすべてが終わる』と思うようになりました。・・・このような虚無主義的な当時の私の在り方には共感できない方もたくさんおられると思いますが、私にとっては、死を見据えることによる絶望、恐怖を通り抜け、人生を初めて肯定的にとらえることができた瞬間でした」。
「今、自分にとって心地よいことをする」。他人の評価に縛られず、自分の気持ちに正直に生きよう、大切な人との時間を過ごすことを大切にしようというのです。
「死を見つめることは、どう生きるかを見つめること」。
「先送りしていた人生の課題を解決する」。
●死んだ後の自分のことを心配するのならば、なんで生まれてくる前の自分のことを心配しないんだ?――アーヴィン・D・ヤーロム。
「『普通の日の連続』が幸せ」。
「『死』は現代では不吉なことと捉えられがちですが、『死』を意識して初めて、生きることの光を感じるという側面もあります。人生の期限を意識することは、日々を粗末にせずに自分らしい生き方にシフトするための大きな動機付けになるのです」。
がん告知を受けた人だけでなく、皆に手に取ってもらいたい一冊です。