手と足のない彼女が、100メートル泳げるようになった理由・・・【情熱的読書人間のないしょ話(250)】
我が家の庭の片隅で、オモトの実が鮮やかな橙色に色づいています。マンリョウは真紅の実をたくさん付けています。今のうちに写真を撮らないと、ヒヨドリに全部食べられてしまうわよ、と女房に言われ、慌ててカメラに収めました。
閑話休題、何気なく手にした『歩き続けよう――手と足のない私にできること(文庫版)』(佐野有美・藤本美郷著、飛鳥新社)には、驚かされると同時に、勇気づけられました。
著者の佐野有美は、先天性四肢欠損症として生まれましたが、短い左足の3本の指と右足の1本の指で全てをこなす25歳の女性です。高校在学中、チアリーディング部に所属し、その前向きな姿が地元マスコミで話題になりました。高校卒業後、民間企業で事務職を経験し、現在は講演活動を行っています。
いずれのエピソードからも彼女の前向きな頑張りぶりが伝わってきますが、私が一番驚いたのは、「100メートル泳げるようになった理由」です。私は子供の頃、水泳が苦手で、人並みに泳げるようになったのは44歳の時だったからです(その後は水泳が趣味になりました)。
「小学校3年生の夏休み。普段の休日はゴルフや会社の付き合いが多く、あまり私にかかわる時間のない父が、『おい、有美! プールに行くぞ!』と、突然、張り切って声をかけてきました。いつも『なんで私は泳げないのかな』と、家族に呟いていたので、父は娘が泳げないことを悔しく思っているようでした。・・・気合十分な父に急かされ、家の近くの市民プールに出かけていきました。水着に着替えた私を腕に抱っこしてプールサイドを歩くと、私の体の障害に気づいた人たちが振り返ります。けれど父は、そんなことはまったく気にせずプールに入りました。・・・言われた通り必死に体をグニャグニャとくねらせますが、すぐに沈んでしまいます。・・・父も必死ですが、私も必死です。父を真似してぐにゃ、ぐにゃ、ゴボッ、ゴボッ。何度もやっているうちに、水に浮かぶと体が勝手に動き出しました。そして、『もうダメ・・・』と思ったとき、ふっと体が軽くなると同時に、父の声が耳に入りました。『やったぞ! 有美!!』。興奮する父に抱かれながら周りを見回すと、泳ぎ始めたところよりだいぶ前に進んでいました。『できた、できた。ねえ、もう1回』。すぐ水に戻り、さっきよりも早く体をくねらすと――。『私、泳げた!』。少しツンとする鼻の痛みが、夢ではないことを伝えてくれました。こうして週末になる度、父と一緒にプールに通って練習をしたのですが、確実に前に進めるようになってくると、どんどん欲が出てきました。私は、『25メートルを泳ぎたい!』と父にせがむようになりました。でも、それがどれだけ無謀なことか、ふたりにはよくわかっていました。問題は息継ぎです。両腕はなく、足も、短い左足に3本の指、1本だけ指のある右足はほとんどないと言えるものです。そのためバランスを取るのがとても難しく、体を横にして口を開いて息継ぎすることは不可能でした」。読みながら、私もつい、力が入ってしまいました。
「『じゃあな、今度は体全体を回転させてクルンって上を向いて、息を吸って、またクルンって戻る。どうだ、一度やってみろ!』。――お父さんがついているんだから、絶対に大丈夫! そう思うと勇気が湧き、父に言われたように体を上に、かいて、ん・・・。クル、バッシャ。自分では回転しているつもりなのに、中途半端に体が横になり沈没。思いっきり上に向くんだ、という父のアドバイス通りに再びチャレンジ。クルン! ゴボッ。ブクブクブクブク。何度やってもバランスが崩れてしまいます。『いいか! 仰向けになろうと思えばできるぞ!』。父の言葉とは反対に『無理なのかな』と、だんだん弱気になりかけましたが、それ以上に『泳ぎたい』『絶対にできる!』という気持ちが強くなっていき、バシャンバッシャン、クルンを繰り返しました。失敗してしまうのは、思い切りが足りないから。今度は、――思い切って空を見るんだ! 心の中で叫びながら、グリンッ――。すると、目の前に青空が広がりました。すでに息が苦しかったので、上に顔が出たのと同時に自然に息を吸いこみ、夢中でクルンと元に戻り、体をくねらせました。2、3回体をくねらすと、くねり、くねり、クルン、くねり、くねり、クルン。立派に息継ぎになっていました。何度かやるうちに、ついにはプールの端から端までを泳ぎ切っていました。『やったよ! 有美、ひとりで泳げた!』。このときの父の嬉しそうな笑顔は、今でもよく覚えています」。思わず、拍手をしたら、脇の女房が何事かと驚いています。私が初めて25mを泳ぎ切った時の感激が生々しく甦ってきました。彼女は、さらにターンをマスターして、100m泳げるようになったのです。
「障害者と言われて消極的になり、悩んだりすることもたくさんあります。ですが、もし他の人との間に壁があると思ったら、胸に手を当てて(私は心の手を胸に当て)じっと考えるのです。――自分自身が、みんなとの間に壁を作っていないだろうか? 涙は涙を、悲しみは悲しみを、不安は不安を、自分に跳ね返してしまいます。最近では、講演会に来てくださる皆様と直に触れ合うことで、自分の笑顔が自分以外の人たちの笑顔を生んでいる、こう実感できるようになりました。これからも、たくさんの素敵な出会いを通して、笑顔の輪を広げていきたい、それが私の生きる役目だと信じています」。彼女のことを思ったら、どんな困難も乗り越えていけると、沸々と勇気が湧いてきました。