ミステリ作家を目指す人向けの懇切丁寧なガイドブック・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2122)】
エナガ(写真1~4)、メジロ(写真5、6)、シジュウカラ(写真7)、コゲラ(写真8)、ヒヨドリ(写真9)、マガモの雄(写真10)をカメラに収めました。
閑話休題、『書きたい人のためのミステリ入門』(新井久幸著、新潮新書)は、ミステリを書いて新人賞を狙おうという人向けに書かれているが、古今東西のミステリが俎上に載せられているので、私のような読み方専門の者も十分愉しめる一冊です。
●エラリー・クイーンとアガサ・クリスティーの比較論――。
「どうせなら、その解決は『より論理的』に魅せたい。同じ論理でも、提示の仕方によっては、さらに緻密で精密だと感じさせることができる。エラリー・クイーンの作品は論理的だとよく言われるが、アガサ・クリスティーの作品で、論理性がもてはやされることは少ない。解決編における推理の過程は、クリスティーの作品だって充分にロジカルだ。論理的に構築されていない、なんてことは決してない。この両者の印象の違いはどこから来るのか。学生時代、ミステリ研の先輩が、分かりやすく説明してくれた。『クイーンもクリスティーも、解決の論理性に差はない。クイーンが論理的だと言われる理由は、十の可能性の中から、九つを潰したあとに、真相を示すからだ。他のあらゆる可能性を潰して、唯一の真相に到達したように見えるからだ』。真実は一つだから、一発で真相に到ろうと、様々な可能性を排除しながら真相に迫ろうと、事件を解決するという点では何の違いもない。だが、読者が受ける印象は圧倒的に違う。そして実は、十の可能性を挙げたからといって、あり得べきすべての可能性を検討したことにはならないのだ。本当は百ある可能性のうち、たったの十を考察しただけかもしれない。それでも、十から一に絞った方を、人は論理的で緻密だと感じる。解決において、段階的にダミーの解決を示し、それらを排除していくのは、論理性を際立たせたいと思うなら、とても有効な手続きだ」。クイーンの最高傑作とされる『Yの悲劇』を読み返したくなってしまいました。
●書くなら、短編か、それとも長編か――。
「シャープなネタとカタルシスで勝負するのであれば、一気読みできる短編が適しているであろうし、骨太なストーリーラインや物語のうねりで謎を演出し、ゆっくり楽しんでもらおうというのであれば、長編が向いているということになるだろう。書くときばかりではない。読む際にもこのことを意識して、短編はなるべく一息で読むようにすると、謎の切れ味をより楽しめるはずだ」。
●ミステリ作家への道――。
①食わず嫌いしないで、何でも読む。
②すべてがネタになると考え、社会経験をしておく。
③とにかく最後まで書き切る。
④もう、とにかく書けるだけ書いて投稿しまくる。