榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

近衛文麿と石原莞爾は、アドルフ・ヒトラーに傾倒していた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2154)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年3月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2154)

撮影助手(女房)がツクシ(スギナの胞子茎。写真1、2)を見つけました。ハナモモ(写真3、4)、サンシュユ(写真5)、レンギョウ(写真6)、ウチワノキ(シロレンギョウ。写真7)、ユキヤナギ(写真8、9)、アセビ(写真10)、アケボノアセビ(写真11)が咲いています。白い花を咲かすジンチョウゲ(写真12、13)も、よい香りがします。我が家の庭の片隅で、庭師(女房)期待のクロッカスが漸く咲き始めました。因みに、本日の歩数は11,483でした。

閑話休題、『野望の屍(かばね)』(佐江衆一著、新潮社)は、史実を基にした小説であるが、私が驚いたのは、近衛文麿と石原莞爾のアドルフ・ヒトラーに対する傾倒ぶりです。

1923年3月からドイツに留学し、ベルリンに駐在していた陸軍歩兵大尉の石原は、ミュンヘン一揆を主導し失敗したヒトラーという人物に興味を惹かれます。ランツベルク監獄に収監されたヒトラーは、獄中で『我が闘争』第1巻を執筆します。

「日本でも多くの人が読んだ。ヒトラーより1年半あとに生まれ、太平洋戦争勃発直前までの昭和時代に三度も首相を歴任し、昭和15(1940)年9月にドイツのヒトラー総統、イタリアのムッソリーニ統帥と日独伊三国軍事同盟を結んだ近衛文麿首相も愛読した。彼は私邸の仮装パーティでヒトラーに扮したり、豪邸の荻外荘の庭をヒトラー風の服装で散策して悦に入り写真にとらせたりした」。

「ヒトラーがランツベルク監獄を釈放された翌年、1925(大正14)年9月14日、前年に少佐に昇進した石原莞爾は、出版されたばかりのヒトターの『我が闘争』を購入して、ドイツ留学2年6ヵ月、ベルリンからシベリア鉄道経由で帰国の途についた。・・・石原はそれ(ハルビン)までの車中で、ベルリンで買ったヒトラーの著書『我が闘争』第1巻を時間をかけて読み込んでいた。・・・最も早くこの書を原文で熟読した石原は、純粋な民族による民族国家樹立の論に、田中智学の『日蓮主義』に共鳴した時に似た衝撃と感銘を覚え、ヒトラーに会えなかったことを残念に思った。そして、自分が目ざすのも、日本民族を中心としたアジア民族平等の民族国家による世界平和だと胆に銘じた。・・・(ハルビンで)石原は人前で、しかも国柱会信徒と多くの聴衆の前で『世界最終戦争』という言葉をはじめて使い、その敵国がアメリカだといい放った。ベルリンでデルブリュック教授にルーデンドルフ将軍の『殲滅戦略』を聞き、教授が主張する『消耗戦略』『持久戦争』などを学んだ石原は、ベルリンからの今度の列車の旅で東欧そして気が遠くなるほど広大なロシアの大地を来る日も来る日も眺めながらヒトラーの『我が闘争』を熟読して、近未来の戦争を明確に脳裏に浮かべてきたのだ。・・・シベリアの大地からこの広大なまだ未開といえる沃野の満州の旅は、ドイツ留学を終え満を持して帰国途上の36歳の陸軍少佐石原莞爾の胸に、途方もない野望を膨らませていた」。

「アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』を原書でいち早く熟読し、昭和9年にヒンデンブルク大統領の死去で全権能を継承してナチズムという国民と一体となった運動をリードしているヒトラーのカリスマ性に、近衛は強く魅かれていた。・・・近衛邸で盛大にひらかれた一族郎党を集めての仮装パーティで、近衛は長身で面長な顔の鼻下のチョビ髭を生かして独裁者アドルフ・ヒトラー総統そっくりに扮装した。この写真は各新聞に掲載されて話題を呼ぶ。ドイツを敗戦後のどん底から見事に立ちなおらせたヒトラーは、いまや世界の英雄だった。その演説は天才的でとても真似のできるものでない。自分の不足に照らして、近衛は一国をひきいる政治家としてかくありたいと願ったのだ」。

「風見(章)を近衛は内閣ナンバー2の書記官長になぜ抜擢したのか。ヒトラーに憧れ、『プロパガンダ政治』を目ざした近衛は、ヒトラーの片腕といえる宣伝大臣ゲッベルスのようなマスコミ対策にひいで、しかも左翼思想を抑圧できる男を、大命降下前から探していたのだ。・・・ヒトラーの決断力に憧れながら、お公家さん貴公子の近衛の本心は優柔不断なものだった」。

「ゾルゲ事件渦中の昭和16年10月16日、第三次近衛内閣は総辞職。昭和12年6月以降、国民の期待を背負って約4年間に三度も内閣を担って、ひそかに日本のヒトラーを自任した貴族の近衛文麿は、太平洋戦争開戦の直前、昭和16年10月16日のこの日、50歳で首相の座を去った」。

本作品は、「戦後70余年たった現在も大湿地帯の水底で白骨化し、樹木の枝で首を吊った者の遺体は、熱帯雨林の旺盛な成長と共に空高く吊りあがって風葬さながらに白骨化して、熱帯の太陽に照らされ遥か太平洋の彼方の祖国を見つめつづけている。そして満州ではおきざりにされた開拓団の子どもたちと避難行で命を落した人々、さらにはソ連に連行されて厳冬のシベリア強制収容所で凍りつく屍と化した男たち・・・。国家の野望から『水漬く屍』『草むす屍』となった何百万の人々が、今なお明日を縛っている」と結ばれています。