複雑怪奇な多面的人間・荒俣宏の本音丸出しの自伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2173)】
ソメイヨシノ(写真1~7)、ヤエベニシダレ(写真8~10)、ハナモモ(写真11~13)が見頃を迎えています。コサギ(写真14~17)が婚姻色となり、目先と足指が赤みを帯びてきました。
閑話休題、『妖怪少年の日々――アラマタ自伝』(荒俣宏著、KADOKAWA)は、とても一口では表現できない複雑怪奇な多面的人間・荒俣宏の自伝であるが、荒俣がいかにして荒俣になったかという経緯が、生き生きというか、生々しく描かれています。
荒俣と私の興味対象はかなりずれているが、共通点が一つだけあります。それは、好奇心の範囲がだだっ広いこと、それに対してとことん突き詰めてしまうという点です。こういう興味が異なる私でさえ面白く読めた本書は、荒俣と趣味を同じくする人にとっては、間違いなく垂涎ものでしょう。
「ここは高校に女子部が併設されており、色気まではいかないが、ほぼ大人のボディランを具えた『女性の先輩たち』を、中学生が身近に観察できた。これはなかなか新鮮な体験だった」。
「わたしが三十五歳を過ぎて平凡社の編集部に寝泊まりするようになったとき、澁澤さんが平凡社の雑誌に博物誌や植物誌の連載を書き始めた。その文章を毎回読んでいるうちに澁澤さんがほんとうに博物誌にのめり込んでいる事実を知った。一度、博物図鑑のことで澁澤さんから問い合わせもあった。そうこうしているうちにわたしは『世界大博物図鑑』全五巻という大きな仕事に着手し、第一回配本の『鳥類篇』を刊行するにあたって、澁澤さんに一部を献本せずにいられなかった。・・・その澁澤龍彦が亡くなったのは、葉書をもらってから三か月後、昭和六十二年八月だった。わたしは、これから本格化しようとしていた博物学復興の得がたい師匠を、永久に失ってしまった。こうやって思い返すと、今でも気分が高揚してくる。ほんとうに、自分は呆れ返るほど多くの『師匠』連に恵まれたといっていい。この源泉のほとんどは、中学時代の身勝手な活動にあったにもかかわらず、他人から見れば暗くて孤独な青春だったかもしれないが、本人言わせると毎日脳がぐんぐんふくれあがっていく音が聞こえるほど充実した、酔いしれるような毎日なのだった」。
「この時期から、副業というか趣味の文筆業の方でいよいよ実力ある編集者たちと親交を結び、たくさんの仕事をさせてもらえるようになった。・・・百科事典、を編集する仕事ほど、わたしをおもしろがらせたものはない。なによりも、今や伝説となった平凡社社長、下中邦彦さんと親しくなり、あのとてつもない『世界大博物図鑑』全七巻をやらせてもらった。足掛け十年を要した企画であった。しかも、多くの助手の方、編集部の方を担当につけてくださった」。
「わたしがこれまでにさまざまな雑知識を発掘することができたのは、本をたくさん読んだからではない。偶然の力(セレンディビティ)と、天から救いにきてくれた神の力(天祐)のおかげだと、本気で思っている」。