榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

書物を巡るエッセイ集から学んだこと・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2320)】

【読書クラブ 本好きですか? 2021年8月24日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2320)

ヒガンバナ(写真1~8)、シロバナマンジュシャゲ(写真3、9、10)、ショウキズイセン(ショウキラン、リコリス・トラワビ。写真11、12)が咲いています。キアゲハ(写真7)が吸蜜しています。

閑話休題、『最後に残るのは本――67人の書物随想録』(工作舎編、工作舎)は、書物を巡る67人のエッセイ集です。

木村龍治の「梅園とブロンテ姉妹」は、こう始まっています。「国東半島は、中央部の山頂に向って谷筋が放射状に走っている。その一つを分け入っていくと、坂の多い富永村の奥に三浦梅園の旧宅がある。彼は、江戸時代にここに生れ、生涯三度しか旅行しなかったという。しかし、『少年の頃から宇宙造化(自然現象及び人事百般)に深い疑問を抱き、終生その解明に没頭した』。その結果、『条理(法則のこと)』と呼ぶ一大哲学体系を樹立し、その思想を『玄語』、『贅語』、『敢語』のいわゆる梅園三語に集大成した。日本の西洋化が行われる以前に、普遍的な自然法則について深く考察したほとんど唯一の哲学者である。私は、彼の旧宅を訪問し、生活環境と名声とのあまりの落差に驚いた」。

「そして、同様の驚きを数年前に感じたことを思い出した。行き当りばったりのB&B(民宿)に泊りながら、イギリス国内を車で旅行していたときのことである。大ブリテン島の中央部は、ゆるやかな丘の起伏がどこまでも続く。その起伏に沿って、石を積み上げて作った垣根が、ミニチュアの万里の長城のように延びている。そのような風景の中にハワースの村があった。その村の牧師館がブロンテ姉妹の家である。ここから、『ジェーン・エア』や『嵐が丘』が生れた。・・・ここでも、荒涼とした生活環境と文学史上の名声との落差に驚いたのである。なぜ、このような場所から、世界的な文学が生れたのであろうか。それを思うとき、書物の作用を考えないわけにはいかない。・・・梅園やブロンテ姉妹は本の吸収体であった。本と共に移動する著者の精神が目に見えたのであれば、それが富永村やハワースの上で竜巻のように渦巻いていたのが見えたであろう」。

鎌田東二の「本気の怖さ」には、こういう一節があります。「『気』の流れをよくし、生命力を強める本があるのである。まことに有難いことに、『本気』になり、『元気』にしてくれる本があるのだ。そうした本は手にとると、ある熱気とヴァイブレーションを発している。それは世界書物と接続している。この本のオーラをどう見分けることができるか。じつはこれが読書の極意になる。自分の今の『気』に必要な『本(の)気』をどう取り入れるか。その見分けとタイミングが難しい。・・・本との出会いというのは、人との出会いと同じで、その出会いがうまくいくと、『身』も『心』も『気』も変わる。有難くも怖ろしいことだ」。

森毅の「読者・評者・著者」では、書評の機微が語られています。「(書評が)うまく行くのは、うまい補助線のみつかったときだ。著者と読者の間に評者が介入して、うまい補助線を引き、この構図で見ると風景が変わるよ、とサービスする。それで、書評に関係なく本を読んでいるときも、この本を書評するとしたら、どんな切り口で、どこをポイントに、などと考えながら補助線を探している。そして、それだけで本の内容のほうは、忘れてしまったりする。・・・そのほうが頭脳の消化によいようだ」。書評を書き散らしている私にとって、「補助線」という考え方は勉強になりました。