榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

立川談志の天才性は、先見性、普遍性、論理性の3つで構成されている・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2487)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年2月7日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2487)

アカバナマンサク(写真1~4)が咲いています。アオジの雌(写真5、6)、ツグミ(写真7~10)をカメラに収めました。因みに、本日の歩数は11,506でした。

閑話休題、『天才論 立川談志の凄み』(立川談慶著、PHP新書)では、弟子から見た師匠・立川談志の天才性が論じられています。

「まず、談志の天才性を決定づける要素の一つに『先見性』が挙げられると思います。『先見性』とは何でしょうか。それは言葉となってまず現れます。昭和40年、談志が29歳で著した『現代落語論』はそのラストが『落語が<能>と同じ道をたどりそうなのは、たしかである』という『先見性』で締められていました。・・・(この言葉は)落語家のパーソナルな悩みを、落語家全体の、落語界全体の、落語そのものの『公的な悩み』へと一気に格上げしてしまったのです。そして、同時に、『俺がいる限りそうはさせまい』という決意表明にもなったはずであろうし、後年談志に続く弟子たちには、命令にまで昇華してゆくことになります」。

「談志の『先見性』が、次第に『普遍性』へと舵を切ってゆきます。その象徴が『芝浜』の演出の変遷です。『芝浜』の変化こそが、まさに談志の天才性を如実に示しています。・・・聖典のような『完成品』に手を加えたのが、談志でした。大まかなストーリー展開は先々代三木助師匠の展開を踏襲しつつも、登場人物の『女房』にメスを入れます。最晩年の『よみうりホールでの伝説の<芝浜>』を最高到達点だとすれば、そこへ向かって収斂してゆくような展開で、新たな『女房像』を作り上げていったのです。つまり、先々代三木助師匠の演じる『お前さんのためを思ってウソをついた』という設定の『良妻賢母型の古風な女房』から、『どうしていいかわからなくなっちゃったんだけど、たまたまついたウソでこうなっちゃったんだもん』という、『現代風なかわいらしい気質』を交えた女性像への転換を図ったのです。談志のこの果敢な取り組みをきっかけにして、どの落語家も年末が近づくと、それぞれの価値観に合わせた形でのそれぞれの『芝浜』が演じられることになりました。先鞭をつけ、落語パンドラの箱を後世のために開けたのは談志だったのです」。

「『先見性』のみならず、さらに古今東西の人類にも共通する、いわゆる『普遍性』を、落語から抽出しようとした立川談志。そして、忘れてはならないのが、談志の論理性です。『人間の業』という落語の最高定義は、昭和60(1985)年に出版された『あなたも落語家になれる 現代落語論其二』の中で示された論理です。『業の肯定』とは、一言でいうならば、『落語の登場人物全般の行動様式のこと』です。どの登場人物もおしなべて酒に女性に博打にと欲望に負けがちな『弱さ』を内在させています。その弱さを『業』として受け止めてみた場合、落語の物語を通して『それでいいんだよ』と許してくれる空気感をベースに話が進んでゆきます。落語を聞いて快適に感じるのはそんな優しい匂いがあるからではと分析したのが、立川談志だったというわけです。落語の長い歴史の中で、現役の落語家で落語を初めて定義したのが談志でした。これだけでも天才だといえるかもしれませんが、特筆すべきは、この定義が徹底した理詰めの論法に基づいてなされたことでしょう」。

「予言のような『先見性』あふれる言葉を噴出させる能力と、その中から不変の『普遍性』を見抜くセンスは、先天的なものだと思われますが、『論理性』は分析能力の裏付けがあって発揮されるものであり、これはどちらかというと、後天的なアプローチによるものだといえるでしょう。つまり、談志の天才性を表象する『論理性』は、普段からの不断の努力によって獲得した形質なのではと推察します」。

談志が天才であっただけでなく、著者の立川談慶も天才なのではないか、そんな気にさせられる一冊です。