榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

自分も平安京の下級官人の一員になったかのような錯覚に襲われてしまった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2504)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年2月24日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2504)

ホオジロ(写真1、2)、ムクドリ(写真3~5)、シロハラ(写真6、7)、ツグミ(写真8、9)をカメラに収めました。

閑話休題、『平安京の下級官人』(倉本一宏著、講談社現代新書)を読み進めていくと、自分も平安京の下級官人の一員になったかのような錯覚に襲われてしまいます。

「当時の貴族たちから『下衆(げす。下司・下種・下主とも)』と呼ばれた下級官人たちは、その門地によって任命される官職や昇進の上限が決まっており、一応は個人の能力によって就職したり昇進したりできる(ことになっている)現代から見ると、まことに絶望的な人生を歩まなければならなかった。この本では、彼らの官人生活の実態や、できれば彼らの心情にまで踏み込んで、はたして本当に彼らが絶望的な生活を送っていたのか、それとも案外したたかに平安京の生活を楽しんでいたのかも、探っていくこととする」。

「平安京には、多種多様な職種や身分の下級官人が生活していた。ここでは、主に貴族層ではない六位以下の、『下衆』と呼ばれた下級官人や、さらにその下部で下級官人に従属している階層の人びとについて、その仕事の様子を眺めていきたい」。

「五位以上(特に三位以上)の官人に大きな特権が与えられていた。彼ら五位以上の貴族と六位以下の下級官人、ましてや無位の人びととは、身分的に大きな格差が存在したのである」。

「下級官人たちも、職場や儀式の場では上位の(とはいえほとんどは下級の)貴族に平身低頭してこき使われながらも、一応は貴族社会に連なる一員として、周囲の下人や家族には誇り(と驕り)をもって接していたのであろう。そして彼らにも、それぞれの仕事と家族と人生があったはずである」。

「当時は出自によって上れる官位の上限がほぼ決まっていたから、下衆身分にある者は、よほどのことがない限り、一生を下衆として生きなければならなかった。それでも時には、何らかのチャンスや有力者とのツテをつかめば、従五位下に叙爵されることもあったから、人それぞれ、あきらめが先に立つ者、上昇志向をもつ者、それに挫折した者と、さまざまな類型の下衆が入り混じっていたことであろう。彼らに溜まったストレスがしばしば暴発したことも、理解できないではない」。

「下衆と称された下級官人のしたたかな生き方は、千年の時を超えて、むしろ感動的ですらある。・・・数々の違例をおこなったり、懈怠をくりかえしながらも、人事の際には儚い期待を抱き、有力者とのわずかなツテを求めて右往左往するという、ずる賢くて嘘つきで小心な下級官人の姿は、官人社会しか職業が選択できない彼らにとっては、生きるためには必要な手段であった。彼らもきっと、それぞれの自宅では、『殿』と呼ばれて(呼ばせて)いたのであろう。その妻女や子供や下女(しもおんな)や下男(げなん)から、少しでも出世することを期待されつづけながら、それぞれの下級官人たちには、それぞれの歴史と人生があったはずであるが、彼らは藤原道長の『この世』を、どのように見ていたのであろうか。さらにその下部の庶民(『下人』)ともなると、これはもう、さらにしたたかに生き抜いて、この時代を謳歌していたことであろう。まあ正確には、そういう人びとだけが、したたかに生き抜くことができたのだとは思うが、それもまた、我々現代の庶民と変わるところはないはずである」。

臨場感溢れる一冊です。