59年間、私はとんでもない誤解をしていた、『草枕』という作品を・・・【情熱の本箱(400)】
大学1年の時、岩波文庫で読んだ夏目漱石の『草枕』は、つまらない、はっきりしない作品だなという印象であった。今回、59年ぶりに再会した『草枕』は絵本であるが、私はとんでもない誤解をしていたことに気づいた。
『絵本 草枕――KUSAMAKURA』(夏目漱石原作、結城志帆脚色、いとう良一画、「草枕」絵本化プロジェクト)に出会えて、本当によかった。出会えていなかったら、『草枕』はつまらない作品と思い込んだまま終わるところであった。
誤解していた第1は、俳画のように、のんびりとした小説と思い込んでいたこと。ところがどっこい、当時の日露戦争を背景にした、結構、深刻な物語だったのだ。
誤解の第2は、主人公が出会った女性は、育ちのいい、おっとりとした美女と記憶していたこと。若き画工(えかき)が訪れた湯治場の宿屋の若奥様・那美は、おっとりどころか、生々しさを感じさせる生身の女だったのである。
例えば、主人公との間で、こんな会話が交わされる。「画工『しかし、あの歌は憐れな歌ですね』。那美『憐れでしょうか。池へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか』。画工『あなたなら、どうしますか?』。那美『どうするって、(結婚を申し込んできた)二人とも男妾にするばかりですわ』」。
主人公が風呂に入り、興に乗って、自作の土左衛門の唄を口ずさんでいると、「突然、風呂場の戸がさらりと開いた。広い風呂場を照らすのは、ただ一つの小さい釣り洋燈(らんぷ)のみ。おまけに、湯気が立ち込めている。間近に見た人は、なんと那美さんだった。那美さんは、私と同じ湯舟に浸かったあと、『ほほほほ』と神秘的な笑い声を残して去っていった。私は思わず、がぶりと湯を呑み、頭を湯の中に沈めた」。
主人公が読書をしている部屋にやって来た那美に、「画工『あなたと話をするのも面白い。ここへ、逗留しているうちは、毎日、話をしたいくらいです。何なら、あなたに惚れこんでもいい。しかし、いくら惚れても、あなたと夫婦になる必要はないんです。夫婦になる必要があるうちは、小説を、はじめから終いまで読む必要があるんです』。那美『すると、不人情な惚れ方をするのが画工なんですね』。画工『不人情じゃ、ありません。非人情な惚れ方をするんです』。・・・(突然の地震に)那美さんは、膝を崩して、私の机に寄りかかる。一羽の雉子が、藪の中から飛び立つ。私の顔と那美さんの顔が触れぬばかりに近づく。那美『非人情ですよ』、と居住まいをただす。画工『無論です』」。
兵隊に召集された那美の従弟の久一を見送る舟の中で、「画工『那美さんが、軍人になったら、さぞ強かろうね』。那美『わたしが軍人になれりゃ、とうになっています。今頃は、死んでいます。久一さん、お前も死ぬがいい。生きて帰っちゃ外聞がわるい』」。
小説の最後は、こう結ばれている。「那美さんは、茫然として、行く列車を見送る。その茫然のうちに、不思議にも、今までかつて見た事のない『憐れ』が、那美さんの顔一面に浮いていた。画工『それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ』と、わたしは那美さんの肩を叩きながら小声で言った。その時、わたしの胸中に、那美さんの画が、しっかり成就したのである」。従弟が乗り込んだ列車に、満洲に行きたいと言っていた那美の別居中の亭主も乗っていることに、那美は気づいたのである。
誤解の第3は、どことも知れない湯治地が舞台に選ばれていると思い違いしていたこと。作品中に明記されてはいないが、何と、私が入社して最初の勤務地となった熊本県の玉名の小天温泉がモデルとされているではないか。
絵本を閉じた時、漱石作品の中で、『草枕』は最上位に位置するのではないかという思いが湧き上がってきた。