なぜ、日本人は薄暗がりが好きなのか・・・【情熱の本箱(277)】
【amazon 『陰翳礼讃』 カスタマーレビュー 2019年6月18日】
情熱の本箱(277)
なぜか、私は薄暗がりが好きだ。だから、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を初めて読んだ時は、我が意を得たりと嬉しかったことを覚えている。今回、『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎文、大川裕弘写真、パイ インターナショナル)を手にして、深く頷いてしまった。谷崎の達意の文章と、大川裕弘の気配を感じさせる写真が相俟って、味わいのある薄暗がりの世界を現出させているからである。
「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解しないからである」。
「されば日本の建築の中で、一番風流に出来ているのは厠であるとも云えなくはない。総べてのものを詩化してしまう我等の祖先は、住宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、なつかしい連想の中へ包むようにした」。
「われわれの座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に外ならない。われわれは、この力のない、わびしい、果敢ない光線が、しんみり落ち着いて座敷の壁へ沁み込むように、わざと調子の弱い色の砂壁を塗る」。
「思うに西洋人の云う『東洋の神秘』とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう」。
「われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える」。
手許に置いて、心がざわめくときに、ひっそりと読み返したい一冊である。