社会学の流れが俯瞰できる一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2660)】
シオカラトンボの交尾(写真1)を目撃しました。コシアキトンボの雄(写真2)、ハグロトンボの雄(写真3)、雌(写真4)、吸水するアゲハチョウ(写真5)、ツマグロヒョウモンの雄(写真6、7)をカメラに収めました。アブラゼミの雄(写真8)が仰向けになって絶命しています。ホオジロの雄(写真9、10)が盛んに囀っています。ミシシッピアカミミガメ(写真11)が泳いでいます。湧水(写真12)が溜まっています。河川敷の除草を行っていたトラクターの運転手に聞いたところ、傾斜30度の土手を降りるよりも昇るほうが大変とのこと(写真13)。
閑話休題、『社会学の名著50冊が1冊でざっと学べる』(岡本裕一朗著、KADOKAWA)は、添えられている図版が理解を助けてくれます。
とりわけ興味深いのは、『シンギュラリティは近い』、『人間機械論』、『第三の道』の3冊です。
●『シンギュラリティは近い』
「『AI(人工知能)が人類の知性を上回る』ことを予見したAIの権威が思い描く人間とコンピュータの未来とは――」。
「形式的に言えば、『シンギュラリティ』とは、『テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のこと』だとされている。ここから、コンピュータが人間を超える時点とされ、具体的には2045年と特定されている」。
「カーツワイルのシンギュラリティ論で特筆すべき点は、人間の脳とコンピュータをつないでしまうことにある。それまではコンピュータと人間は別々のものと見なされ、その前提のもとでコンピュータが人間を超えると予測されていた。ところが、カーツワイルは『人間の脳をアップロードする』という表現によって、人間とコンピュータを融合させたのである。『人間の脳をアップロードするということは、脳の目立った特徴をすべてスキャンして、それらを、充分に強力なコンピュータ基板に再インスタンス化することである。このプロセスでは、その人の、人格、記憶、技能、歴史のすべてが取り込まれる』」。
「人間とコンピュータの融合という発想によって、カーツワイルのシンギュラリティ論は、メディア論として理解されるようになる。コンピュータは単なる機械ではなく、人間とコミュニケートするものであり、さらには人間同士をコミュニケートさせるものでもある」。
●『人間機械論』
「現代においてメディアや情報についての理論を考えるとき、アメリカの数学者ノーバート・ウィーナーが提唱した学問『サイバネティックス』は、キー・コンセプトを提供している」。
「具体的に説明してみよう。人(A)が誰かにメッセージ(a)を送る。相手(B)は、自分(A)が知っている情報を含むメッセージ(b)を返してくる。これが相手を制御する場合だと、メッセージは命令形で伝えられる。こうしたメッセージのやり取りを、人間と人間だけでなく、人間と機械、生物と機械、機械と機械の間にまで広げていくのが、『人間機械論』の主題となる。そのため、ウィーナーの構想では、サイバネティックス理論はさまざまな分野を含む広大な統一理論と見なされている」。
「『サイバネティックス』という言葉は、1960年代まで流行語のように使われていたが、その後ジョン・マッカーシーが提唱した『人工知能』という言葉にとって代わられた。・・・特に注目したいのは、ウィーナーが構想したサイバネティックス思想が、最近の人工知能の発展に伴い、再評価されている点である。それはウィーナーの『人間的』な立場であり、『人間の人間的な利用』というタイトルにも表現されている」。
●『第三の道』
「民主主義が形骸化している今こそ『第三の道』が必要となる。イギリスを代表する社会学者が提唱する方策とは――」。
「一般に、『第三の道』というのは、資本主義と社会主義に対して、いずれにも属さず、両者を超える立場として主張されてきた。しかし、20世紀にギデンズが提唱した『第三の道』は趣を異にしている。というのも、旧来の社会主義はすでに失効していて、もはや対立項にはならないからだ。むしろ、世界中は資本主義一色になっていて、資本主義内部での対立しか残されていない」。
「第三の道は『社会民主主義と新自由主義の『いいとこ取り』』。
この他、『大衆の反逆』の「オルテガによれば、科学者は発展した分業化によって、視野が狭小化し、自分の専門領域以外のことを知らず、また関心さえ抱かない。いわゆる『専門バカ』になってしまうという」、『ハマータウンの野郎ども』の「子供は自分の階級にふさわしい仕事を選ぶ」、『ブルシット・ジョブ』の「世の中にはやりがいを感じない無用な仕事があふれている――そんな衝撃的な事実から仕事の『価値』を問い直す話題の書」――という指摘が印象に残りました。