榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

インディアン強制移住、南北戦争、ケネディの登場――の真実とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2754)】

【読書クラブ 本好きですか? 2022年10月31日号】 情熱的読書人間のないしょ話(2754)

全長55mmほどのオオアオイトトンボの雄(写真1)、ウラギンシジミの雌(写真2、3)、ヒカゲチョウ(写真4、5)、ツマグロヒョウモンの雌(写真6、7)、高鳴きするモズの雌(写真8)をカメラに収めました。シュウメイギク(写真9、10)、キク(写真11~13)、ホトトギス(写真14、15)が咲いています。因みに、本日の歩数は12,698でした。

閑話休題、『アメリカの歴史を知るための65章(第4版)』(富田虎男・鵜月裕典・佐藤円編著、明石書店)で、とりわけ興味深いのは、インディアン強制移住、南北戦争、ケネディの登場――の章です。

●インディアン強制移住
「1830年5月に連邦議会で成立したインディアン強制移住は法に基づき、ミシシッピ川以東に移住するインディアン諸部族は、同州以西のインディアン・テリトリー(現在のオクラホマ州を含む地域)に移住させられた。40年代半ばまでに、31~34年のチョクトー族を皮切りに、移住を強いられたインディアンの数は10万人以上に及んだとされる。・・・少なからぬインディアン部族が、移住を死に物狂いで拒んだ。北西部ではサック族・フォックス族連合がブラック・ホーク戦争(1832年)を起こし、フロリダでは黒人逃亡奴隷と連帯したセミノール族が武力抵抗を試みた(1835~42年)。南東部では、チェロキー族が独立主権国家の樹立を宣言して移住を拒否した。同族は18世紀末から合衆国の提唱する文明化政策を部分的に受け入れ、黒人奴隷を使役するプランテーション経営を推進していた。白人との混血を多く含むチェロキー指導層は、白人文化に倣いながら憲法など政治機構を整備し、チェロキー文字と英語を併記した週刊紙『チェロキー・フェニックス』を刊行するなど、主体的な文化融合による白人社会との共存を図った。チェロキー族は合衆国最高裁に移住の不当性を訴えたが、ジャクソン(大統領)は移住か、州の統制に服すかの二者択一を無慈悲に迫った。移住は軍隊による暴力と、営利欲にかられた民間請負業者の不正、伝染病や悪天候により悲惨な結果を生んだ。・・・4000人の犠牲者を出したチェロキー族の移住は『波の旅路』と呼ばれたが、この名は惨状を極めたさまざまな部族の移住全体の代名詞ともなっている」。映画の西部劇で描かれる白人対インディアンの戦いは、白人側に都合よく史実を歪曲したものだったのです。

●南北戦争
「北部の奴隷制廃止論者は南北戦争を奴隷制廃止のための戦争に変えよと訴えていたが、開戦後数カ月間、リンカンは奴隷制に言及するのを避けた。リンカンが大統領として奴隷制問題を最初に切り出したのは1862年3月だった。この時彼は各州による自主的奴隷解放、奴隷所有者への補償、解放奴隷の国外植民という保守的な解放を考えていた。共和党急進派は少数派だったが、1861年8月に第一次反乱者財産没収法を通過させた。62年7月の第二次反乱者財産没収法は南部人が所有していた奴隷は永遠に自由になるとしていたが、リンカンは施行しないで、9月22日、奴隷解放予備宣言を公布した。これは翌年1月1日をもって『合衆国に対して反乱状態にある』州の奴隷を永遠に解放すると宣言していた。ついに南北戦争が連邦維持のための戦争から奴隷解放のための戦争に変わったのだった。翌年1月1日には正式に奴隷解放宣言として発効し、65年に奴隷制度を明確に禁じた憲法修正第13条として確定した」。南北戦争が始まった時点では、奴隷解放のための戦争ではなかったことが分かります。

●ケネディの登場
「著名なジャーナリストのハルバースタムはJFK(ケネディ)を、発展途上国において主流なのは民族主義であり、世界の最大の脅威は共産主義というよりも第三世界においる飢餓と貧困であるとするリベラル派の観点を踏まえつつも、実行可能性と国益を常に忘れない現実主義者だった、と把握する。・・・わずか1000日ほどの在職期間で、立法面で後任のリンドン・B・ジョンソンに比べて大した成果もあげていないJKKだったが、『ニュー・フロンティア』を掲げる一方、現実問題に敢然と取り組んだ若くかつ自信に満ちた政治指導者として、彼が生きた時代以降に生まれた世代にもなお強く支持される。キューバとベルリンの両危機を乗り越え、失敗から学びつつ成長し、理想を現実社会で実行に移す道を常に模索する現実的リベラル派として、ソ連との部分的核実験禁止条約で核軍拡競争の時代に歯止めをかけ、核戦争の恐怖からの国民の救済を試みたJFKは、内政面でも弟の司法長官ロバートとともに果敢にマフィアや南部の差別隔離体制と闘った。恐慌と破滅的世界戦争の再来を防止するという国民レベルの決意のもとで逡巡しつつ世界の政治経済をリードし始めた戦後アメリカの、いわば成熟期に位置する1960年代の幕開けを飾ったのが、JFKの登場だった」。マリリン・モンローとのスキャンダルなどが真実であったとしても、政治指導者としてのケネディは高く評価されて然るべきでしょう。

読み応えのある一冊です。