ジャン=アンリ・ファーブルとチャールズ・ダーウィンの進化論を巡る論争・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2889)】
コチドリ(写真1~3)、シロハラ(写真4)をカメラに収めました。ヒガンザクラ(写真5、6)、コヒガン(写真7、8)、ジュウガツザクラ(写真9)、コブクザクラ(写真10)、オオカンザクラ(写真11、12)、ツバキカンザクラ(写真13、14)、ヨウコウ(写真15)、ヨコハマヒザクラ(写真16、17)、カンヒザクラ(ヒカンザクラ。写真18、19)が咲いています。因みに、本日の歩数は14,366でした。
閑話休題、『ファーブル驚異の博物誌』(イヴ・カンブフォール著、瀧下哉代・奥本大三郎訳、エクスナレッジ)で、個人的に興味深いのは、ジャン=アンリ・ファーブルとチャールズ・ダーウィンとの進化論を巡る論争です。
「ファーブルが狩りバチの習性を紹介した章は、スカラベの章と並んで『昆虫記』の中でも特に名高い。ダーウィンの自然選択説の誤りをファーブルが鋭く指摘している箇所もこれらの章にある。ファーブルは狩りバチの観察にもとづいて、本能は種の発生からもともと備わっていたものだと考えた。これほど精密に適応した行動が、何千年も手探りするように進化を続け、自然選択により到達できたとはとうてい考えられない。ほんのささいな間違いがあっても、幼虫に死をもたらし、ひいては子孫を残すことができないからだ。たとえこの概念が説明できないものだとしても、こうした行動は種が発生した時点で完成されていたはずだ、とファーブルは主張する。・・・ダーウィンが生きていたころに書かれたこの部分から、ファーブルとこの偉大なイギリス人科学者との対話を垣間見ることができる。ダーウィンがファーブルに宛て、さまざまな実験を依頼した手紙も残っている。こうして始まった二人の親交も、18882年のダーウィンの死をもって終わりを迎える。反論してくれる好敵手を失ったファーブルは、その後も進化論を厳しく批判しつづけていくが、それが彼の科学的名声を傷つけることになる」。
「ダーウィンの死後、ファーブルはダーウィンが提案していたさまざまな実験を行った」。『昆虫記』には、<実験の結果は、チャールズ・ダーウィンが予測したとおりでも、私が予測したとおりでもなかった>と記されています。