菊池寛の生き方が生き生きと伝わってくる評伝・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2991)】
千葉・野田の「こうのとりの里」では、オイカワ(写真1、2)、クサガメの雄(写真3)も飼育されています。カヤネズミの巣(写真4)、オオヨシキリの巣(写真5)が展示されています。ツバメが抱卵しています(写真6)。こちらでは、ツバメが雛たちに給餌しています(写真7~11)。セイヨウスイレン(写真12)、ネムノキ(写真13、14)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,716でした。
閑話休題、『形影――菊池寛と佐佐木茂索』(松本清張著、文藝春秋)は、面白いの一語に尽きます。
そんなに何が面白いかというと、その源泉は3つあります。
第1は、松本清張が親近感を抱く菊池寛の生き方が、生き生きと伝わってくる評伝であること。
「菊池は『半自叙伝』の中でも佐野(文夫)の名を小説『青木の出京』と同様に青木の仮名にして、<自分と青木とは親友であった。二年の初めから丸二年間形影相伴う如く起居を共にした親友であった。自分は、青木を愛しもすれば尊敬もしていた>と書いている。これは同性愛に近かった仲を暗に述べている」。
「菊池の(井原)西鶴好きは後年までつづき、大正十一年の『新潮』に連載した批評欄『文芸春秋』では、<日本の古今の文学を通じて、自分の尊敬する作家が、ただ一人居る。それは西鶴である。人生を本当に見た作家として西鶴ほど偉大な作家はないと思う。近松(門左衛門)などは遥かに劣ると思う。本当に外国語に翻訳せられたならば、世界的文豪として優に古典の中に居る人だと思う>と書いている」。
「『人間存り』とは、菊池の終生の興味であった。ヒューマニズムというよりはヒューマン・インタレストである。S・モームは『人間が面白くてしかたがない』という意味で云っていたと思うが、それとも通じている」。
「後年、ある雑誌社から、次の世に生れたらどのような女性を妻として択ぶかというアンケートがあった。『現在の妻』と答えたのは菊池一人だけだった」。
「菊池のテーマはきわめて明快であり、自然主義のものと違って、題材がいつも変っていて新鮮であった。無装飾的な、線の太い文章があった。それには近代感覚や理知が横溢していた。いままでにない視角と、新奇な解釈があった」。
「菊池は『真珠夫人』と『慈悲心鳥』とは二つとも成功したが、<その頃、私はバルザックの小説を愛読していたので、其処から多少のヒントを得た>といっている」。
「菊池寛は、一見楽天的だが、その内面には虚無的に近いぐらいペシミスティックな要素があるように思う。それは彼の現実主義観からだが、それもまた若い時の不遇な環境から来ている。もし成瀬家の援助がなく、大学へ行けなかったら、自分はアナーキストになったろうとも『半自叙伝』で書いている。彼の少年時代から学生時代にかけての不遇な経験は、すべてを信じることができないといった観念を彼に持たせるに至ったと思われる」。
第2は、文藝春秋という菊池のポケットマネーで始まった小さな出版社が大成長を遂げるのに貢献した両輪――菊池社長と佐々木茂索専務――の微妙な人間関係が明らかにされていること。
「菊池の無精は、むろん茂索の性格にはないものだ。茂索はあくまでもスタイリストであり、ダンディであった。菊池はズボンがずり下がって、ワイシャツの腹のところがはだけ、ヘソが出ていても気にしなかった。人にそれを注意されても、ヘソが出たっていいじゃないか、と云って平気だった。このようにまったく相反する社長と専務のコンビで文藝春秋の運営がうまくいったというのは、一見ふしぎに思える。小林一三がこれを社長・専務の名コンビだと賞めた。・・・(一方)こうした関係を見ると、要するに、菊池と茂索の間には和気藹々としたものがあまりなかったようである。そうだとすれば、菊池は茂索の経営才能を高く買ってはいたが、茂索という人間にはあまり好感をもたず、内心では『イヤな奴』と思っていたのではあるまいか。・・・神経質な一面を大人風の中にくるんでいる社長菊池と、神経質な一面を鋭敏なままに錐でむき出している専務茂索の心理的な対決がここに見えるようである」。
第3は、松本清張の菊池に対する高評価、夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉に対する辛口評価が率直に記されていること。なお、清張が私淑する森鴎外は、本書には登場しません。
「菊池は漱石に対してあまり高い評価を与えていない。・・・菊池のこの漱石論はかなり当っている。すくなくとも昨今の漱石讃美的な評論よりも、ずっと説得力がある」。
「これ(『手巾』)も『今昔物語』から材を取って話をつくる芥川の手法と同じである。実生活の経験がうすい芥川は、このようにいつも頭で創作するしかなかった」。
「ヒューマン・インタレストをテーマとする以上、いわゆる純文芸作品を菊池ははじめから度外視していた。芥川とは対蹠的である。菊池はこの友人の『芸術至上主義』に敬意は持っていたが、反面では一部文芸批評家や文学青年相手の彼の作品の『稚さ』をひそかに冷笑していたであろう。・・・芥川よ、もっと大人たれ、ということである」。
「(『暗夜行路』の)これらははたして『省略』の文学だろうか。省略ではなく空白ではないか。書きこまねばならないところを放棄した手抜きである。それというのが、お栄も直子も作者の頭でできたつくりものだからである。・・・菊池寛のテーマ小説が不当に貶されるに対し、志賀直哉の小説は『太陽のように輝く芸術』とか『木犀のように芳香を放つ文学』などと批評家に云われて、不当に賞讃されてきた。・・・『暗夜行路』の『謙作』を自伝的主人公とするには不自然な虚構部分が多く、諸家が云うほどには人間が描けていないのである。・・・志賀には社旗的視野がまったく欠如している。何ぞ志賀を『文学の神様』にして跪拝し、『テーマ小説』の蔑称で菊池を足下に擲たんや、である」。
清張の菊池評はいささか甘過ぎる感がしないでもないが、漱石、芥川、志賀に対する評価は頗る真っ当と、私も考えています。