江戸時代の女性たちは、旅を大いに楽しんでいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2997)】
ノカンゾウ(写真1、2)、ヤブカンゾウ(写真3、4)、キスゲ(ユウスゲ。写真5)、アルストロメリア(写真6)、ボタンクサギ(写真7)が咲いています。
閑話休題、『江戸の女子旅――旅はみじかし歩けよ乙女』(谷釜尋徳著、晃洋書房)では、江戸時代の女性たちの旅が多くの実例を踏まえて考察されています。
「関所、難所、大河、女人禁制など、女子旅には困難も付き物でしたが、そのような憂いを吹き飛ばすほど、旅の道中は女性たちを駆り立てるたくさんの魅力に溢れていたようです。女性たちは、有名な寺社や名所旧跡をめぐり、名物で胃袋を満たし、名産品を買い漁り、温泉で心身を癒し、都市観光を満喫し、お座敷遊びや芝居見物にも熱中するなど、滅多にない旅の機会を漏れなく楽しもうと歩き回りました。湯水のように各地に大金を落とし、豪華なセレブ旅行をした女性もいます。もしかすると、近世の女性たちは、旅の道中に限らず、私たちが想像するよりもずっと、活力に溢れた日常を過ごしていたのではないでしょうか。兎にも角にも、近世の女子旅を可能にした最大の要因は、泰平の世が実現し、街道筋の安全性が高い水準で確保されたことでした」。
「関所破りの斡旋業の存在も合わせて考えると、女子旅に付き物だった困難のいくつかは、金次第で軽減できたという現実も見えてきます。そのような環境があればこそ、たくさんの女性が観光旅行を楽しむために故郷を旅立つことができたのです」。
具体的な例として、温泉を見てみましょう。「温泉が旅人の疲れた身体と心を癒すスポットだったことは、今も昔も変わりません。近世の女性の旅人たちも、各地で温泉に浸かりました。清河八郎と母の亀代は、有馬温泉に立ち寄っています。八郎は、『湯壺は一の湯、二の湯、二ツあり。湯の色常々濁りて、巾を入ると赤く染るなり。黄金の湯といふ』と描写しました。母の亀代も、この黄金の湯につかり、長距離歩行で疲れた心身を癒したことでしょう。中村いとは、帰路の中山道を歩く途中で浅間温泉に入湯しました。『伊勢詣の日記』に『浅間の温泉に浴し休らひ かり原峠越をして泊る』と記されているように、いとは温泉で一時的に休憩した後、再び歩き出して峠越えをしたようです。『紀伊国名所図会』に描かれた龍神温泉では、多くの利用客が湯壺に浸かる姿があります。男女が一緒の湯に入っていますが、龍神温泉に限らず、当時の温泉地は混浴が多く見られたそうです。かといって、全員が混浴利用をしたわけではありません」。
「『旅行用心集』には、『上ハ王侯より下庶人に至迄 湯治すること今に盛也』という記述があります。同署は文化7(1810)年の刊行ですが、この頃には、将軍・大名から一般庶民にいたるまで、湯治がさまざまな階層を巻き込んだ一大ブームになっていたのです。その証拠、『旅行用心集』には、なんと292ヵ所に及ぶ温泉地が紹介されています。女性たちが旅の途中で温泉に立ち寄ったことには、こうした温泉ブームという社会全体の動向も影響していたようです」。
私も、久しぶりに温泉に浸かりたくなってしまいました。