平安時代の貴族層の女性の生き方・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3201)
ヒヨドリ(写真1)をカメラに収めました。
閑話休題、『平安朝の父と子――貴族と庶民の家と養育』(服藤早苗著、中公新書)で、個人的に、とりわけ興味深いのは、●藤原道長子孫の摂関家の成立、●和泉式部の出産、●貴族層の女性の生き方――の3つです。
●藤原道長子孫の摂関家の成立
「より重要なのは、天皇に入内するキサキが、11世紀中頃は、道長子孫だけに限定されたことである。天皇に入内するキサキの決定権を事実上もつのは、天皇家と道長子孫摂関家に君臨する上東門院彰子だった。その結果、王家と摂関家の血統的接近、貴種性が決定的になり、道長子孫以外の貴族層との血統的格差は決定的になる。いわば彰子が今の摂関家の最終的基盤を作ったのであった」。
●和泉式部の出産
「和泉式部は、敦道親王の召人となり、男子を出産するが僧侶にする。平安中期は、母の出自や家族内の位置も問題になり、親王と庶民女性との性愛関係による子どもは公的には認知されず、落胤とされたのであろう。身分秩序の固定化と、いまだ母の出自・血統を重視する双系的意識のもとで、父は子を認知することさえ不可能の場合があったのである」。
●貴族層の女性の生き方
「平安中期は、いまだ荘園制社会ではなく、官職や位階にもとづく国家給付や、家人として仕える上層貴族からの様々な恩恵による収入などが主だった。上層貴族女性は、基本的に朝廷に出仕することはなくなっていた。中・下級貴族層の女性の女房出仕も、すでに理想的な女性の生き方ではなくなっている。貴族女性の理想は、貴族男性と結婚し、同居の正妻として安定した生活を送ることだった。当然ながら、貴族層から父親の経済力による子の扶養が一般的になっていく。経済力を背景に、父の子への権限が強化されていく。この経済力とは、貴族層にとっては官職への就任であり、しかも父の官職を基礎にした家業は子に継承されることは、多くの史料で検証してきたところである。家業の父子継承を背景に、父の子への権限強化が始まるのである」。