遂に、堀辰雄の『曠野』に辿り着きました・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3228)】
早朝、庭の餌台「カラの斜塔」に砕いた落花生を、「空中楽園」にミカンやリンゴを置きにいくと、シジュウカラ語が聞こえてきます。恐らく、餌が来たぞうと仲間に伝えているのでしょう。その直後、シジュウカラ(写真1~4)、メジロたちが餌台にやって来ます。夜、東京・杉並の西荻窪の和食料理店で高校時代の同期生たちと会食し、話に花が咲きました。西荻窪は昭和の雰囲気が濃厚に残っています(写真5)。
閑話休題、『平安朝の母と子――貴族と庶民の家族生活史』(服藤早苗著、中公新書)で、「貧しい妻の離婚」がテーマの『今昔物語集』の巻第三十・第四の話を知りました。話の全体が知りたくなり『今昔物語集――本朝世俗篇(下) 全現代語訳』(武石彰夫訳、講談社学術文庫)を手にし、原文を読みたくなり『今昔物語集(4)』(馬淵和夫・国東文麿・今野達校注・訳、小学館・日本古典文学全集)まで遡りました。
『今昔物語集(4)』の「巻第三十・第五 中務大輔娘成近江郡司婢語」の解説の「堀辰雄の『曠野』は本話に取材したもの」という一節に導かれ、『昭和文学全集(6)』(小学館)所収の『曠野(あらの)』(堀辰雄著)に辿り着いた次第です。
『曠野』は、巻第三十・第五の原文にかなり忠実な作品だが、締めの部分で堀辰雄らしい解釈が加えられています。それは、自分の夜伽の相手が落ちぶれた、かつての妻と知った男の心情が描かれる場面です。「男は女とおもわず目を合わせると、急に気でも狂ったように、女を抱きすくめた。『矢張りおまえだったのか』。女はそれを聞いたとき、何やらかすかに叫んで、男の腕からのがれようとした。力のかぎりのがれようとした。『己だと云うことが分かったか』。男は女をしっかりと抱きしめた儘、声を顫わせて言った。女は衣ずれの音を立てながら、なおも必死にのがれようとした。が、急に何か叫んだきり、男に体を預けてしまった。男は慌てて女を抱き起した。しかし、女の手に触れると、男は一層慌てずにはいられなかった。『しっかりしていてくれ』。男は女の背を撫でながら、漸っといま自分に返されたこの女、――この女ほど自分に近しい、これほど貴重(だいじ)なものはいないのだということがはっきりと身にしみてわかった。――そうしてこの不為合せな女、前の夫を行きずりの男だと思い込んで行きずりの男に身をまかせると同じような詮(あき)らめで身をまかせていたこの惨めな女、この女こそこの世で自分のめぐりあうことの出来た唯一の為合せであることをはじめて悟ったのだった。しかし女は苦しそうに男に抱かれたまま。一度だけ目を大きく見ひらいて男の顔をいぶかしそうに見つめたぎり、だんだん死顔に変りだしていた。・・・・・・」と結ばれています。
堀は、女を惨めなまま死なせたくなくて、この最終部分に膨らみを持たせたのではないか、と私は考えています。