この吃音ドクターを見よ・・・【続・リーダーのための読書論(14)】
3つの気づき
親しいM先生から薦められた『ボクは吃音ドクターです。――どもっていても、社会に必要とされる、医師になりたい』(菊池良和著、毎日新聞社)は、私に3つの気づきを与えてくれた。
人それぞれの悩み
第1の気づきは、人はそれぞれ何らかの悩みを抱えているということ。そして、悩みから逃げずに前向きに取り組めば道は開けるということ。著者の場合は、幼稚園の頃から現在に至る吃音(きつおん=どもり)であり、2年前に突然生じた脳動静脈奇形破裂の術後の後遺症である。
著者は小学5年生の頃から「死んでしまえば、どもらなくていい」と考えるほど吃音に悩んだが、やがて、吃音のことを知りたい、吃音について勉強したいとの思いが強まり、医師になる決心をする。途中で挫けそうになるたびに、「ここで勉強を止めたら、死ねない。私は勉強をし過ぎて死んだ初めての人になるぞ」との初心に立ち戻り、猛勉強の末、2年浪人したものの九州大学医学部合格を果たす。現在は、九州大学病院の耳鼻咽喉科のドクターとして診療に当たるのと並行して、吃音の研究を続けている。
吃音の奥深い闇
第2の気づきは、吃音という疾病の奥深い闇と、この疾病がいかに患者を苦しめているかということ。吃音には連発性、難発性、伸発性の3種類があり、これらの中核症状に、本人が「どもること=悪い」と思い込むことによる二次的行動が加わるという悪循環が生じる。この悪循環を根本的に解決するためには、「どもっていてもいいんだよ」という言葉が患者にとっては一番だと、著者が断言している。吃音の原因・治癒のメカニズムは、まだ世界で一致した見解が得られていないからだ。
ドクターの関門
第3の気づきは、医学部受験から始まって、一人前のドクターになるまでには、いろいろな関門をクリアしなければならないということ。著者の例で言えば、1月の大学入試センター試験→2月の国立大学一般入試→4年生の終わりから始まる大学病院での臨床実習→6年生の卒業を控えた時点の医師国家試験(何と3日間で500問!)→新研修医制度による研修病院での2年間の研修→専門科に入局→月・水・金曜日は手術、火・木曜日の午前中は外来、午後は病棟教授回診とカンファランス――という厳しさだ。つくづくドクターになるのも、なってからも大変だなと再認識させられる。
著者とは異なる悩みの場合でも、読み終わった時、心の底から勇気が湧いてくる本である。
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