過激な懐疑論でなく、健全な懐疑論を保持しよう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3357)】
【読書の森 2024年6月19日号】
情熱的読書人間のないしょ話(3357)
カワウ(写真1~3)、シロテンハナムグリ(写真4)をカメラに収めました。ユウゲショウ(写真5)、ツユクサ(写真6)、ムラサキバレンギク(学名:エキナセア・パープレア。写真7)、ヘメロカリス(写真8~10)、アガパンサス(写真11)、タチアオイ(写真12)が咲いています。我が家では、コクチナシ(写真13、14)が芳香を放っています。
閑話休題、『哲学がわかる懐疑論――パラドクスから生き方へ』(ダンカン・プリチャード著、横路佳幸訳、岩波書店)の著者が一番言いたいことは、3つにまとめることができるでしょう。
●政治や科学を論じる場において、懐疑があまりにも過激になると、①正しさと真理に対する関心が薄れてしまう、②真理の相対主義が蔓延する。
●私たちの送る人生にはどのような意味があるのかという問いに対し、過激な懐疑論は、人生は無意味なものだという破壊的な帰結をもたらす。
●ゆえに、程度をわきまえた健全な懐疑論と、極端で過激な懐疑論をうまく見極めることが必要である。