家父長制の桎梏に抗った聡明な少女の苦難・葛藤の日々・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3377)】
カリン(写真1、2)、カボチャ(写真3)が実を付けています。
閑話休題、『山梔(くちなし)』(野溝七生子著、ちくま文庫)は、野溝七生子の自伝的小説です。
家父長制が幅を利かせていた時代、性格破綻者ともいうべき父親から精神的・肉体的に圧力を加えられ続けた、自立精神に富んだ聡明な少女の苦難・葛藤の日々が綴られています。
「阿字子(あじこ)は、毎日本を読んだ。毎日本を読んだ。首が、両の肩に埋もれてしまうかと思うほどに深く屈み込んで、決して顔を上げることなしに読んだ。眼がさめると浜辺に出かけて行って薄暗いうちから、日が上るまで読んだ。人足(ひとあし)がちらちらと見えるようになると急いで家に帰った。食事の時間にはいつもおくれて食卓についた。日が暮れると、昼間からの位置を動かすことをしないために、灯明(あかり)のとどかないヴェランダの片隅で、それは夜の猫の眼のように拡大せられていただろう瞳孔で、ありたけの黄昏を、搔き集めて、半分は、指先で、探り乍ら読むのであった。もとより、他(ひと)の言葉なども――只一つ父の怒声を除くほかの――耳にはいったためしはなかった」。
「三月になって、卒業が近づくと阿字子の心は、云い難い憂鬱に捉えられて行った。彼女は、学校を限りなく愛していた。そこは寝室を除けて唯一のかくれ家のように、彼女に恐ろしい父の眼を、忘れさしていた所であったのだ」。
「『義理知らず奴(め)』。父は、この時、初めて、眼眸(まなざし)を真直(まっすぐ)に阿字子の上に睨み据えた。『輝衛さん達とは何だ。たちとは。貴様は、嫂(あによめ)のことまでを口にしたな。京子は、輝衛の家内だ。俺に、どうすることが出来ると思っているのか。恥知らず奴。それが女学校なんぞに行って腐れ学問をした女の云い分か』」。
「暫くすると父の声が、投げつけるように響いた。『女の子の躾を、俺は干渉はしないからお前の好きにしろ。俺は母親の手に余れば、なぐりつけてやるだけだ』。そう云っておいて、父は、荒々しく、座を立って行った気配がした。そのことの誰について云われていたかを、阿字子はあまりにも知っていたのである。阿字子は身を震わして咽び泣いた」。
「阿字子の右の手から、短刀が抜身の儘で非常に緩(ゆっく)りと辷り落ちてごとんと鈍い音を立てた」。
「かつて阿字子の空想が、その事を必然に約束した現実の恋愛は、その指先が、まだそれに触れようともしないさきに、露よりもはかなく散ってしまっていた」。
「『阿字子を、野良犬のように辱めなすった京子さんのほかに、阿字子はどんな京子さんも知りません』」。
ずしりと重い読後感が残りました。