榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

本居宣長は、「もののあはれ」を、濁った泥水が美しい蓮を咲かすことに譬えた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(情熱的読書人間のないしょ話(3456)】

【読書の森 2024年9月25日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3456)

モズの雄(写真1)、ナガサキアゲハの雄(写真2~4)、オオホシカメムシ(写真5)、ホソヒラタアブ(写真6)、パンパスグラス(シロガネヨシ。写真7)、ススキ(写真8、9)をカメラに収めました。ススキの穂(正しくは穎果<えいか>)からピローンと頼りなげに1本伸びているのが芒(のぎ)です(写真9)。ミカン(写真10、11)が実を付けています。落下している黄色いミカンを口にしたが、酸っぱいこと! 我が家のキッチンの曇りガラスにガ(クロスジシロコブガ? 写真12)が2頭出現。ガが姿を消してから、ニホンヤモリ(写真13,14)2頭が登場したが、時、既に遅し! 因みに、本日の歩数は11,895でした。

源氏愛憎――源氏物語論アンソロジー』(田村隆編・解説、角川ソフィア文庫)で、とりわけ興味深いのは、●本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』と、●谷崎潤一郎の「にくまれ口」です。

●源氏物語玉の小櫛
「もののあはれ」に関し、「儒仏などの道」に照らせば、光源氏が空蝉や朧月夜や藤壺に心をかけて逢うことは「世に上もなき、いみじき不義悪行」であるが、「いみじき不義悪行」は蓮を育てる水が濁って汚いようなもので、「物語に不義なる恋」もその濁った泥(不義)を賞美するのではなくあくまでも「もののあはれの花」を咲かせるための肥やしだと、宣長は主張します。光源氏の振る舞いは、泥水から生い出た蓮の花が世にも美しく咲いたもので、その水が濁っていることは問わないという立場なのです。

●にくまれ口
谷崎潤一郎は、「是非善悪の区別」による読みを退けた本居宣長の「物のあわれ」の説は卓見だと高く評価しています。しかし、光源氏の藤壺との密通は許せるとしても、簡単に別の情婦をこしらえたり、その情婦に甘い言葉をかけたりするということは、どうしても許せないと述べています。

また、森鴎外が『源氏物語』を一種の悪文と言ったことについては、一語一語明確で無駄がなく、ピシピシリと象嵌をはめ込むように書いていく鴎外の書き方と『源氏物語』の書き方は正反対だからだと記しています。