桂太郎という政治的人間を徹底解剖する・・・【山椒読書論(52)】
新聞で「桂太郎は、日本のジョゼフ・フーシェ」という書評を目にして、俄然、『桂太郎――外に帝国主義、内に立憲主義』(千葉功著、中公新書)を読みたくなってしまった。なぜなら、シュテファン・ツワイクの『ジョゼフ・フーシェ』は、私にとって最高の一冊だからである。
結論から言うと、桂太郎は確かにフーシェ的な面を有する政治的人間であるが、「日本のジョゼフ・フーシェ」とまで言い切るのは少々無理なようだ。
だからと言って、この書を貶しているわけではない。意欲的な力作であり、3つの点で大変勉強になった。
第1点は、桂太郎という政治家の名前は知っていても、その事績はほとんど知らなかったが、この本によって、その興味深い生涯を知ることができたことである。桂は財政問題(財政規律)の重要性を認識し、その対策に腐心した明治期・最初の政治家であった。
徳川幕府を倒して成った明治維新に大きな功績のあった長州出身者の一員ということで、最初は軍人として頭角を現し、やがて政治家、それも第1次~第3次桂内閣首班として8年に亘り日本を率いていく姿が生き生きと活写されている。
第2点は、明治新政府内部の中心部分で何が行われていたのかが明らかになったことである。
外交面では、イギリス、アメリカ、ロシアといった強かな列強と、日清戦争、日露戦争で勝利を収めた「遅れてきた帝国主義国家」日本の息詰まるような駆け引きが過不足なく描出されている。もちろん、現代の視点では、帝国主義は許容されるものではないが。
内政面では、薩長による藩閥政府と政友会などの政党とのどろどろした駆け引きが臨場感豊かに描かれている。
第3点は、明治天皇に対する印象が大きく変わったことである。
明治維新後、日本の政策決定・遂行は明治天皇の強力なリーダーシップによって行われてきたと思い込んでいたが、維新時、15歳であった少年天皇にそれを期待するのは無理であり、実態は、長州閥の伊藤博文、山県有朋、井上馨、山田顕義、薩摩閥の黒田清隆、松方正義、西郷従道、大山巌といった元勲(元老)たちが、天皇を支えるという形で、日本を動かしていたのである。桂は、この元老たちの第二世代として力を振るったのである。