藤原不比等は「日本史」を創った男、紫式部はバルザックやプルーストの小説の先行者・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3505)】
樹上のコガタスズメバチの巣(写真1)をカメラに収めました。ホトトギス(写真2、3)、シクラメン(写真4)、ツワブキ(写真5~7)が咲いています。ホソヒラタアブ(写真6、7)がホヴァリングしています。カキ(写真8)、カリン(写真9~11)が実を付けています。フウセンカズラ(写真12~14)の実の中には、子猿のような種が入っています。東京大学柏キャンパスの食堂において大学院生気分で昼食(写真15)。
閑話休題、『藤原不比等と紫式部――日本国家創建と世界文学成立』(鷲田小彌太著、言視舎)では、多くの歴史上の人物が取り上げられているが、とりわけ興味深いのは、藤原不比等と紫式部です。
著者は、藤原不比等は「『日本史』を創った男」、「日本国家(政治)システムと日本人(日本語)誕生の最大モメント(契機)となった」人物と高く評価しています。
紫式部の『源氏物語』には最大級の賛辞が呈されています。「『源氏物語』は、バルザックやトルストイが試みた『全体小説』と、プルースト『失われた時を求めて』やジョイス『ユリシーズ』が試みた『意識の流れ』の小説との、二つながらの先行者であり、21世紀の小説の可能性を示す指標である」という中村真一郎の言葉を引用して、「頷ける」と述べています。
「源氏の父である桐壺帝に擬せられているのは醍醐天皇で、源氏に擬せられるのは源高明で醍醐天皇の皇子、母が更衣(天皇の侍妾で、女御の下位)の源周子。高明は920年、源氏を賜姓され、参議、中納言、大納言、右大臣から、967年左大臣に進んだ。だが藤原氏に警戒され、菅原道真と似た形で、969年『安和の変』で太宰権帥に左遷され、失脚し、972年帰京を許された。・・・歴史上のモデルは源高明だが、光源氏に仮託された理想的な人物のモデルは、ほかでもない、『この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば』と歌った(藤原)道長をおいてほかにない」とあるが、ここまで言い切っていいのだろうか。