榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

坂本龍馬を襲った男は二人いた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3519)】

【読書の森 2024年11月26日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3519)

アオサギ、ダイサギ、コサギが揃って毛繕いしています(写真1、2)。アオサギ(写真3)、ダイサギ(写真4)、チュウサギ(写真5、6)、コサギ(写真6~8)、ダイサギとカワウ(写真9)、カワウ(写真10)、ハシビロガモの雄と雌(写真11)、雄(写真12)、雌(写真13)、コガモの雄(写真14)をカメラに収めました。キダチダリア(別名:コウテイダリア。写真15~17)が咲いています。

閑話休題、『沖田総司は黒猫を見たか――史談集』(中村彰彦著、中央公論新社)で、個人的に、とりわけ興味深いのは、●「盗んだ総額一万二千両」鼠小僧次郎吉は語る、●将軍徳川家茂と正室和宮の愛と性、●坂本龍馬を襲った男は二人いた――の3つです。

●「盗んだ総額一万二千両」鼠小僧次郎吉は語る
鼠小僧の正体は義賊などではなく、博打場通い、遊女買いなどに励んで盗んだ金を散財した遊冶郎(ゆうやろう)に過ぎません。

藩邸に忍びこみ召し捕られた37歳の次郎吉は、取り調べに「しかとは申し上げにくいのですが、盗賊を働きはじめてからこれまでに盗んだのは、おおよそ一万二千両ほどと覚えております」と白状します。次郎吉は斬首の上、梟首(晒し首)に処せられました。

●将軍徳川家茂と正室和宮の愛と性
和宮(かずのみや)とは仁孝天皇の第8皇女として生まれ、文久2(1862)年、14代将軍徳川家茂に降嫁した親子(ちかこ)内親王のことです。

関東には鬼が棲むと無邪気に信じていた和宮は江戸行きを嫌がったが、江戸城で婚礼を挙げて16歳の同い年の夫婦となった家茂と和宮は、次第に琴瑟相和しました。二人は相思相愛の仲となったのです。

第2次長州追討戦の連戦連敗の衝撃も体調悪化の原因となったのか、家茂は慶応2(1866)年7月20日、脚気衝心のため21歳で死去します。家茂の死後、幕府存続に尽くした静寛院宮(和宮)は、明治10(1877)年9月2日、脚気衝心で死去、享年32。

●坂本龍馬を襲った男は二人いた
慶応3(1867)年11月15日の夜五ツ半(9時ごろ)、京の河原町三条下ルの醤油業近江屋新助方の2階奥8畳間にいた坂本龍馬が、京都見廻組に出仕していた幕臣今井信郎(のぶお)に斬られ、数え33歳で生涯を閉じたことはよく知られています。

明治41(1908)年の今井の証言に基づき、龍馬の部屋に乗りこんだのは今井と渡辺一郎の2人、今井が龍馬を、渡辺が中岡慎太郎を倒したというのが事実のようです。しかし、今井は、渡辺一郎改め篤が生存していることを知っており、証言では敢えてその名を隠して同姓の渡辺吉太郎の名を挙げた可能性が高いと、著者は考えています。